Tubakka’s blog

初老オヤジの青春時代の実話体験談。毎話読み切り。暇で暇でしょうがない時にお勧め。

(第22話)お母さんって呼んで?小さな観覧車

大田区 蒲田小学校の校舎】

今回も前話からの話の続きをしよう。

育ての母から離れて実母と姉の三人で蒲田で暮らすようになった。蒲田での暮らしはアパート住まいだ。私が一緒に住むことになったと実母が大家に報告に行くと、大家の旦那はこう言い放った。

大家の旦那「ひとり増えるんなら来月から家賃二千円追加だよ」

帰ってくるなり実母はぷんぷん怒ってこう言った。

実母「どこの世界に子供が増えて家賃が上がるアパートがあるっていうの、バカにするのもいい加減して欲しいわ。悔しいから今月から払うって二千円投げつけてやったわ」
姉「さっすが~!やる~!」

今では信じられない話だが、当時は人の足下を見る因業大家が珍しくなかった。

 

 

ほどなくして私は蒲田小学校に転校した。

緊張しながら挨拶をして座った席の隣にはU田女子がいた。U田女子との一悶着は第7話で述べた通りだが、今回はそれよりも前の話だ。

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自分の席に着いて少し落ち着いてみるとクラスの生徒の言葉遣いが妙に感じた。私に話しかけてきたバットシと呼ばれていた男子の語尾がきになる。

バットシ「お前どっから来たの?その上着いいじゃん」

私はたいした上着は着ていなかったが、話しかけるキッカケに適当に上着を褒めたのだろう。だが、私には最後の「…じゃん」を奇異に感じた。

私「じゃんって何?じゃんて言うの、この辺だと」
バットシ「えー?言うよ普通に、みんな言うよ」
私「へぇーそうなんだ」

元々は神奈川県の方言らしいが、私の住んでいた葛飾区の金町でそんな語尾をつける人は大人も子供もひとりも見たことがなかった。

同じ東京でわずかな距離なのにえらく違うもんだなとこのときは思った。だがこの1年後に金町の友人に会いに行ったとき、この友人も「じゃん」を遣っていた。どうやら西から東に言葉が移って来る過渡期だったのだろう。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私は転校してした初日からスムーズにクラスに溶け込んだ。バットシとも仲良くなれたし、他の生徒とも気軽に会話出来るようになった。

バットシ「帰りによ、ゲーセン行こうぜ」
私「ゲーセン?」

いわゆるゲームセンターのことだ。金町にはそんな店はなかったから知らなかったのだ。

私「金かかるよね?100円ぐらいしか持ってないよ」
バットシ「金要らねーよ、メダル貯まってるからやるよ」
私「へぇー、ならやりたい」

 

他にも3人ほど引き連れて私たちは京浜蒲田の商店街にあるゲームセンター「ポナンザ」に向かった。(※店名は『ボナンザ』だったかも知れない)

バットシは店員になにやらカードを見せると店の奥から大量のメダルの入ったバケツを受け取った。誇らしげに私に見せるともうひとつのバケツに半分近くのメダルをくれた。

私「え?こんなに悪いよ」
バットシ「悪くねーよ、いくらでも取れるんだからよ」
私「そうなの?」

スゲーなバットシってゲーム上手いんだと思った。

私「どれやろうかな?」
バットシ「競馬、競馬!それ終わったら何やってもいいからよ」
私「ふーん」

私たちは全員が競馬ゲームに陣取った。

早速、賭け方を教わっていくつか賭けてみた。だが案の定、私は負け続けた。みんなも負けていたがわずかに1~2枚のメダルしか賭けていないようだった。

バットシ「よし、店員が外行った、じゃあ行くぞ」

そう言うや否や、バットシは競馬ゲームの裏にあるコンセントを激しく抜き差しした。

競馬ゲームの画面が何度も瞬断されて画面がちらついた。

バットシ「今だ、賭けろ!」

そうするとみんなはすべての賭けのボタンを激しく押し始めた。

バットシ「何やってんだ、お前も押せ!」

私も適当にボタンを押した。1-2、1-3、2-3、2-4など押せるだけ押した。そうするとなんと言うことだ、メダルを入れていないのにすべての賭けにベットしている状態となった。

まもなく賭けられる時間が終了し、レースが始まった。当然のように全員に当たりメダルの払い出しが行われたが、そのメダルを吐き出す音はすさまじかった。だが、店員は外の見回りにでも行っているのか、聞こえないようだった。

バットシ「よし、じゃあみんな解散!好きなのやってこいよ」

私はビックリしていた。

バットシ「な?金いらねーだろ?好きなのやってこいよ」
私「スゲー!」

その後はみんな思い思いのゲームを楽しんだ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

翌日の教室

私「昨日のスゲーよ、あれどうやったの?」
バットシ「うん、あれ『栓抜き』って呼んでるんだ」
私「せんぬき?」

仕組みはこうだ。なぜだかわからないが、1秒間に何度も競馬ゲームのコンセントを抜き差しすると、どうも中のコンピューターが狂うらしい。メダルを入れてなくても賭けることができるようになるというのだ。

私「なんでそんなことわかったの?」
バットシ「たまたまなんだよ、誰かが転んでコンセントが抜けたときに上手くコンセントが入らなくて何度も入れ直してたとき、6年生が賭けられるようになってることに気がついたのが最初だって聞いた。俺はそれを6年生から教わっただけ」
私「そうなんだー、スゲー偶然だったんだなー」

それから毎日、私たちは学校帰りにこのゲーセンに行ってゲームを楽しんだ。もう充分なメダルがあるにもかかわらず、私たちは『栓抜き』に明け暮れた。

 

バットシ「よーし、いいぞ!」

同じようにみんなですべての着順にベットした。そしてこの日は4-5が当たった。これは滅多にこない着順で配当が高い。従ってメダルを吐き出す時間はいつもの3倍くらいあった。これがまずかった。

店員「ちょっと待った」

私たちはハッとした。

店員「お前たちなんで全部に賭けてんだ?それも全員じゃねぇか、おかしいだろ?どういうことだ?」
バットシ「みんなで一斉に賭けてみようってやってただけです」
店員「全部に賭けたら損するに決まってんだろ?本当の事言え!」

これ以上言い逃れをすることは小学4年生には出来なかった。こうして私たちのインチキはバレて、すべてのメダルは没収されてしまった。警察に突き出すことを簡便してもらう代わりに出入り禁止となった。

私「もう、ここ来れなくなっちゃったな」
バットシ「まさか4-5くるとはな」

こうして私たちの楽しい遊び場はなくなってしまった…。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある日曜日、朝起きると姉が支度しろという。

私「え?どこ行くの?」
姉「いいから!行けばわかるよ」

そそくさと外出の支度をすると実母と姉の三人で出かけた。バスと歩きで30分程度だったろうか、そこに着いた。そこはいかにもな宗教の建物だった。

【イメージ映像】ブログ本文とは関係ありません

私「ゲーッ!また宗教なの?俺帰る」
実母「ダメよ、顔見せに連れてくるって言ってあるんだから」
姉「今日だけ我慢しろよ」

死ぬほど嫌いな宗教に連れてこられて私は暗い気持ちになった。父が他界してようやく宗教と無関係になったとおもったら、今度はまた違う宗教に実母は入れ込んでいた。

私(小声で)「まさか信じてるの?」
姉(小声で)「なわけねーだろ!」

私は少しホッとした。

お堂のなかに入り参拝を済ませると、ここで一番偉いとされる宗教家のおじさんに挨拶をした。

実母「ご挨拶が遅れまして。息子です、よろしくお願いいたします」
私「こんにちは、よろしくお願いいたします」

宗教家のおじさんは私をしげしげと見回すと父との思い出を話し始めた。

宗教家のおじさん「お父さんが亡くなっておじさんもとても残念だよ、お父さんとはね、ずいぶん昔、よくお酒をのみに行った友だちだったんだよ」
私「お父さんと?」
姉「え、そうだったんですか?」
宗教家のおじさん「そう、ずいぶん若いときにね、たまたま知り合ってね、意気投合して良く飲みに歩いたもんだ。なんせお父さんはお酒が強くてねぇ、いつも2軒、3軒と連れ回されたもんだ、懐かしいなぁ」

私たち姉弟はまったく知らなかったが、実母はうんうんと頷いて知ってるようだった。

宗教家のおじさん「お父さんはね、とてもいい男だったよ、気さくでね、筋を通す立派な人だった。いいお父さんだよ」

私はことのほか嬉しかった。父をこんなに褒めてくれる人に初めて出会ったからだ。

宗教家のおじさん「またちょくちょく遊びに来るといい」
私「わかりました」

私は宗教は嫌だが、このおじさんの事は好きになった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

しばらく経ったある日曜日。

実母「どこも連れてってないね、花屋敷でも行こうか」
姉「そうだね、どこも行ってないね」
私「花屋敷?」

蒲田に越してきてから家族で出かけるとしたら例の宗教施設だけだった。私は花屋敷が遊園地であることも知らなかったが、姉から聞いて初めての遊園地に胸が躍った。

 

電車で浅草にある花屋敷に着いた。小さいながらも乗ってみると迫力のあるジェットコースターは楽しい。花屋敷は園も小さくアトラクションも今に比べればお粗末ではあったが、初めてだった私には、この上ない楽しい思い出となった。

帰りに寄った浅草今半のすき焼きは信じられないほどのおいしさだった。

楽しいひとときも終わり蒲田駅に着くと姉が実母に先に帰っててと言った。

姉「お母さん、先に帰ってて、観覧車乗って帰るから」
実母「遅くならないようにね」

姉は蒲田駅ビルの屋上に私を誘った。そこはごくごく小さな観覧車があった。

姉「これ乗ってみようよ」
私「うわーちっさー

しかし、乗ってみるとその小ささとは裏腹に駅ビルの高さとあいまって、観覧車からの眺めは見事に遠くまで見渡せる、すばらしい景色だった。

【東急プラザ蒲田】観覧車

私「すげー遠くまで見えるぅー」
姉「ねー?バカにしたもんじゃないでしょー」
私「ほんとだー」

さわやかな春の風に揺れるゴンドラは心地よかった。
そして観覧車が頂上についた頃だった。

姉「ねー、ちゃんとお母さんって呼びなよ」
私「え?」
姉「1回も聞いたことないよ、お母さんって呼んでないじゃん」
私「・・・」
姉「実のお母さんはこっちなんだからさ、呼んであげないと可哀想じゃん」
私「わかってるけどさ、なんとなく言いづらいんだよな」
姉「早く呼ばないとずっと呼べなくなるよ」
私「・・・わかった」

姉は私がずっと気に病んでいることをズバッと言い当てた。自分でもわかっていた、このままではダメだと。でもなかなか言い出しにくかった『お母さん』と呼ぶことにためらいがあった。別に嫌いとか育ての母を気にしているつもりもなかった。

だが、蒲田に来てからもずっと呼べずにいた『お母さん』と・・・。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

蒲田のアパートには風呂が付いてなかった。

当時のアパートとしては珍しくなかったし、金町の家にも風呂はなかったから別に何でもない。三人揃ってよく近所の風呂屋に出かけたものだ。

小学校4年生ともなれば、もちろん男湯だ。男湯、女湯と二手に分かれて暖簾をくぐる。どこの家族もたいていは一緒に風呂に来ていた。そしてよくあるのがシャンプーや石けんを男女どちらかが忘れている光景だ。

そんなとき湯船の端に行ってかけ声をかけて「石けん投げてくれ」などと言う。銭湯の男女は仕切りがあるが屋根との間には空間が沢山あるから、モノを投げて寄こすのはよく見た光景だ。

そしてこの日、私も同じ事をしなければならなくなった。

シャンプーを忘れたからだ。姉の名前を呼んでシャンプーを投げて貰うことを思いついたが、私は少し迷った。これをいい機会にしてみようと思ったからだ。

 

私「お母さーん、シャンプー投げてー、シャンプー」

 

私は直接顔を見ていないのであまり恥ずかしげもなく大声で叫んだ。

姉「シャンプー投げてって言ってるよ、アイツ」
母「えー?あんた投げてあげなさい」
姉「お母さんって言ってるんだからさ、投げてあげてよ」
母「しょうがないわねー」

母は端のほうからシャンプーを投げた。シャンプーは男湯の床にカンカンと音を立てて転がった。

私「ありがとー」
母「もうすぐ出るわよー」
私「わかったー」

私は初めて実母に『お母さん』と呼ぶことが出来た。銭湯を出た後、姉はこっそり私に耳打ちした。

姉「お母さん、めちゃくちゃ嬉しそうな顔してたよ」
私「そうなんだ」
姉「もうお母さんって言えるな」

私は帰り道にある焼き鳥屋を指さしながら、ここぞとばかりに母に甘えた。

私「お母さん、焼き鳥食べたい、ダメ?」
母「ごはん食べたでしょー、しょうがないわねー」

嬉しそうに母は焼き鳥を買ってくれた。

春の心地よい夜風の中、三人で焼き鳥をほおばりながら帰った・・・。

 

(…次回(第23話)に続く)

 

 

(第21話)蒲田に引っ越し?父母との終の別れ

前話からの話の続きをしよう。

小学3年になった私は葛飾区の飯塚小学校に通っていた。当時の家からその小学校まではほとんどがあぜ道で田んぼが広がっているありさまだった。今ではとても東京とは思えない光景だ。

春、ある日下校していたら後ろからオートバイの爆音がした。振り向くと大きなバイクは停車した。担任の水野先生だった。

水野先生「おぅ、後ろに乗れ、送ってくぞ」
私「いいの?先生!」

先生は私を持ち上げると後部座席に乗せた。初めて乗るバイクにわくわくした。

水野先生「しっかり掴まれ」
私「うん」

先生の背中に抱きつくと、急発進したバイクに背中のランドセルが引き剥がされそうになった。自転車とは比べものにならない加速感を味わって、頬を抜けていく風が心地いい。風景があっという間に通り過ぎたかと思うと、もう家の前だった。

水野先生「ここだろ?家」
私「はい、ありがとうございました」

先生はバイバイと手を振ったと思ったら、あっという間に遠くに行ってしまった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

夏、ある日の夜…

母「今日は木曜日だから座談会だよ。もうすぐ呼びに来るからいっといで」
私「やだ、行きたくない!」

私の両親はある宗教に入信していた。問答無用で子供も入ることを強制された。私はこれが嫌で嫌でたまらなかった。なぜかと言うと木曜夜7時からのTVアニメが見れないからだ。

今と違って当時はビデオ録画などないから見逃すと二度と見ることが出来ない。

子供達の声「どくちーん、座談会いこー」
私「えーやだやだ!」

※私は当時「どくちん」というあだ名で呼ばれていた。

…抵抗空しく、いつも強制的に連行されていった。

座談会と言ってもやることは大人と一緒にお経のようなものをみんなで声に出して読んで、それが終わると係りの大人が何かひとつ小話のようなものを聞かせてお開きになる。1時間以上かかってそんな感じだった。

私は毎回胸くそ悪かった。

お経のようなものは意味がわからないし、子供同士で楽しい会話のひとつもない。最後の小話も説教くさいものばかりだった。学校の道徳の時間のほうがまだマシなくらいだ。

私は両親に『これ出たくない』と何度も言ったが、聞き入れられることは最後までなかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

秋、ある日の放課後、同級生から誘われた。

古川「今日さ、うちこねー?」
私「いいよ」

同級生の古川の家はスクラップ工場のような、廃棄物処理場のような、そんなことを営んでいたと思う。大きな家の隣には職人が寝泊まりする小さな宿泊所が長屋のように連なっていて、全部で20部屋くらいあったように思う。

部屋と言ってもわずか四畳半もない、極々狭い部屋だ。そこの労働者は一年中ここに寝泊まりして働いていた。

私と古川が工場に入ると入れ墨を入れたひとりの労働者が声をかけてきた。

入れ墨のオジサン「おう、ぼうず、ブランコ作ってやろうか?」
私「そんなこと出来るの?」

ちょっと待ってろと言ってオジサンは太い縄を納屋から持ち出してきて、工場の天井の梁(はり)に縄を投げて引っかけると、板を結わいてブランコを作ってくれた。その手の指は1本足りなかった。

古川「おぉー、スゲー」
私「いいね、いいね」

私たちは二人で漕いで大いに楽しんだ。入れ墨のオジサンも嬉しそうに笑った

古川の父「コラッ、何やってるんだ、危ないじゃないか!ケガしたらどう責任取るんだ」
入れ墨のオジサン「どうも。すんませんでした」

古川「なんでー?おもしろかったのにー」
私「もうできないの?」

向こうへいってなさいと怒られて、しぶしぶブランコから降りると家に入った。入れ墨のオジサンはまだ怒られているようだった。

 

-- 更生施設? --
今になって思うと、ここの工場は元ヤクザや行き場を失った人を雇っていたに違いない。腕や背中の入れ墨、指のない人、片眼の視力を失った人などが大勢いた。だが、当たり前かも知れないが、話してみると子供にはことのほか優しかったことを覚えている。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

冬、年の瀬も迫ったある日、母は私を連れて綾瀬駅からほど近い、母の妹家族の家にお泊まりで遊びに行った。

叔母の家は定食屋を営んでおり、夜は食事しながら酒を飲んでテレビを見る常連で賑わっていた。叔母の家族は夫婦の他に兄弟、姉妹の6人家族だった。

私は一番年下の末っ子のようなもので特に下の妹、凉子ちゃんに可愛がられた。

凉子「お菓子屋で何か買ってあげる、行こ」
私「うん」

外に出てお菓子屋に向かうと長男の慶太が用水路で何かしている。

凉子「何してんの?」
慶太「あぁ、ネズミやっつけてんだ」

覗くと金網に掛かった罠のネズミを用水路に沈め始めた。金網が激しく揺れて泡がたくさん水面にはじけた。私は何とはなしに見つめていた。

凉子「残酷だよね、たけどお店の天敵なんだ。ばい菌たくさんもってるからさ」
慶太「このあいだなんか客の足下で暴れたかんな、かなわねーし」

しばらくすると泡が静まった。

慶太「引き上げるとこ、見せねーほうがいいから早く行け」
凉子「うん、だね。行こ」

私は凉子ちゃんに手を引っ張られながらネズミの金網を眼で追った。ぐったりしたネズミはすでに死んでいるようだ。

凉子「見なくていいから行こってば」

強引に強く手を引かれて私はネズミを見るのを止めて凉子ちゃんを見た。凉子ちゃんはこの頃、中学1年生だったかと思う。

ここの兄弟姉妹はみんな美男美女だったが、なかでも最も整った顔立ちをしていたのが凉子ちゃんだ。すこぶる美人だった。そのせいか私は凉子ちゃんの前に出ると恥ずかしくなったのを覚えている。

お店に着くとなんでも好きな物を買えという。

凉子「何がいい?早く決めて」
私「・・・えーっと・・・」

私はなかなか決めることが出来なかった。私が欲しいものはひょっとして高いのかな?もっと安い物を選んだほうがいいのかな?そんな事ばかり考えてしまう。嫌われたくない気持ちが優ってグズグズと長引いた。

凉子「・・もう、これでいい?」

適当にチョコレートやせんべいなどを買ってくれた。
私「うん、それでいい」
凉子「次のときは遠慮しないで何でも好きな物買おうね?」
私「うん、わかった」

凉子ちゃんの家族はとても優しく、遊びに行くとトランプやボードゲームを一緒にしてくれた。姉と離ればなれになって暮らすようになった私が寂しくないようにと、母や叔母の家族が気を遣ってくれていたのだろう。

姉と離れて暮らしていることは残念だったが、それでも私はとても幸せだった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

年が明けた正月、まだ松の内の朝、父は突然他界した。

叫ぶ母の声で私は目が覚めた。母は父の体を激しく揺さぶってなにやら叫んでいた。
私は茫然自失としてぽかんと見ていた。

昨晩は鍋を囲んでつつき、焼き餅を醤油につけて食べたりしていた。
父は軽い晩酌はしたものの深酒もせず、三人で床についたのだ。現実の事として受け入れられなかった。

母は近所のかかり付けの医者にすぐ電話して呼び出した。医者はわずか10分くらいで来てくれた。

医者「ご臨終です。恐らく心不全でしょう。ずっと心臓に持病がおありでしたからね。残念です」
母「・・・」

私は俯いたまま泣くでもなく、ただ黙ってその様子を見ていた。父があの金網のネズミのように死んだとはとても思えなかった。

午後になり、ご近所さんや仕事関係の人が入れ替わり立ち替わりやってくると私は10円玉を握りしめて公衆電話に走った。姉に連絡しなければと思ったからだ。

10円を入れてダイヤルを回す、えーと、6xxx-0101っと。

オペレーター「はい、マルイでございます」
私「えー?マルイ?」
オペレーター「はい、こちらはマルイになります。どのようなご用件でしょうか?」

私はガチャンと受話器を置いた。そうだ、姉の家は6xxx-1010だった。0と1が逆だ。私はうっかり間違えて蒲田西口の丸井にかけてしまったようだ。困った…、もう10円玉はない。誰かに借りるしかない。

当時の蒲田駅西口の丸井(今はもうない)

私は家に帰って借りられそうな人を探した。母はダメだ、借りられない。何に使うのか聞かれるし、こんな時にやっぱり実母に連絡するのかと悲しむかも知れないからだ。

あたりを見回してみた。みんな良く知らない人ばかりだ。こんな時に10円貸して欲しいと言うのも気が引けた。

私は今日は連絡できないなと諦めた。

 

しばらくまたぼんやりした。するとまもなく宗教のオジサンが弔問に来た。父に別れを告げると私に近寄ってきた。

宗教のオジサン「本当に残念なことをした。お父さんは一生懸命信仰していたんだから、これからも一緒にやっていこうな」

私はそんな言葉を聞くでもなく、ただボーッと天井を見上げていた。父がまだこの辺にいて生き返るような気がしたからだ。そこに横たわっている父は眠っているようにしか見えなかった。

 

夕方になると弔問客はどんどん増えた。

綾瀬の叔母さん一家もやって来た。叔母さんは父の横たわる姿を見て泣いた。凉子ちゃんが父の顔を見たいというと母が顔にかぶせた白い布をめくって見せた。

凉子「伯父さん、伯父さん、うそでしょ」

そう叫ぶと凉子ちゃんは泣き崩れて、大粒の涙が膝に落ちた。

叔母「姉さん、生みの親より育ての親っていうじゃない、協力するから一緒にがんばろう」
母「ありがとう、そうするわ」

※前話で説明したが母は育ての親で生みの親ではない。

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凉子ちゃんがそっと私の隣に座った。手を握ると私に言った。

凉子「よく辛抱したね、もう泣いてもいいよ。一緒に泣こ?」

私はその言葉を聞くと同時に大声で泣き出してしまった。父が帰ってこないことが現実であることを告げられてしまった気がしたからだ。

大声で泣き出した私を凉子ちゃんは抱きしめてくれた。

私はさらに大声で泣いて大粒の涙を流した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

翌日、実母と姉がやって来た。

父を見るなり、二人ともひとしきり泣き崩れた。

 

姉「何で昨日すぐ電話しないんだよ?」
私「したんだけど、丸井にかかっちゃったんだよ、ゴメン」
姉「バカ!役立たず」

 

母がお茶を持ってきた。姉は私に公園に行こうと連れ出された。

 

公園に着くと姉が訊いてきた。

姉「お前どうしたい?こっちに残る?あたしと蒲田に行く?」
私「え?何?どうして?」
姉「だからあたし達と暮らすのか、残るのか訊いてんの」
私「えー?そんなのわかんないよ、お母さんはどうなるの?」
姉「それはお母さんが決めることなの、お前がどうしたいか訊いてるの」
私「そっちに行ったらお母さんひとりになっちゃうじゃん」
姉「そうだね、でも仕方ないよ」
私「・・・」

私は姉と暮らしたい気持ちはありつつも、育ての母が気になってしかたなかった。父を失ったショックに加えて、私までいなくなったらと思うと姉との暮らしを決断できなかった。

 

姉と実母が帰って夜になり、母と二人だけの夕飯を囲んだ。

もう、プロレスを見ながら酒を飲む父の姿を見ることはできないんだなと思うと、寂しさがこみ上げた。すると突然母が呟いた。

母「お前、姉さんと暮らしたい?」

…私はドキッとした。昼間、姉がしてきた質問だったからだ。

私「母さんといるよ、ここにいる」
母「まぁ、子供のくせ気つかって。正直に言いなさい?」
私「ホントだよ、ここにいるから」
母「そう…ありがと」

そう言うと母は、はにかんだように笑ってくれた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

49日の法要も済んだある日、下校しようと学校の門を出ると姉がいた。

姉「よう、元気か?」
私「・・・何?」
姉「何だよせっかく来たのに」
私「蒲田には行かないよ」
姉「よくわかったじゃん」

姉は私を蒲田に連れて行くために来たのだとすぐにわかった。

私「だから今日はもう帰っていいよ」
姉「そう言うなよ、とりあえず帰ろ」

家に着くと母と実母が座っていた。私と姉に座れと言った。

母「あのね、これからの事、みんなで決めたの。それでね、お前はお姉さんと暮らすことになったから今日から蒲田にいきなさい」
私「なんで?ヤダよ、お母さんは?お母さんはどうするの?」
母「お母さんは綾瀬の叔母さん家で暮らすことにしたわ」
私「え?だったら僕も綾瀬に行きたい、一緒がいい」
母「ごめんね、いろいろ大人の都合があって、それは無理なの」

『それは無理』だと聞いた瞬間、私は大声で泣き出してしまった。私は『嫌だ、嫌だ』と言い張った。そして思わず外に飛び出した。

外に出ると慶太兄さんの運転するワンボックスカーとすれ違った。急停止して凉子ちゃんがドアを開けて走ってきた。

凉子「待って!待ってってば」

凉子ちゃんが私の手を掴んだ

凉子「ね、話させて、話」

私は泣き顔を見られたくなくてそっぽを向いて言った。

私「お母さんが凉子ちゃんちに住むって。僕も行きたい」
凉子「お母さんがそう言ったの?」
私「うん」
凉子「嘘だよそれ、お母さんは別の町で住み込みで働くから一緒に連れて行けないんだよ」
慶太「おい、それ言っちゃだめだろ」
凉子「本当のこと言わないと納得しないよ」
慶太「しょうーがねーな」
凉子「でもね、みんなを心配させないために嘘ついたの、わかってあげて」

私は座り込み俯いて泣いた。

慶太「もう今日は引き上げよう、みんなに言ってくる」

 

その日はみんな帰って行った。私と母だけの夕飯となった。私も母も無言で食べ続けた。夕飯の片付けが終わると母と二人でTVを見た。母は私の好きなアニメにチャンネルを回してくれた。

時計が寝る時刻を告げると母は布団を敷いてくれた。二人で寄り添って布団に入ると母は呟いた。

母「お母さんね、やっぱり姉弟は一緒に暮らすべきだと思うわ。だから蒲田に行ってほしい。お母さんや凉子たちとはいつでも会えるんだから。会えなくなるわけじゃないんだから…」
私「・・・」
母「それにね、大人にもいろいろ事情があってそうしてほしいの。ね?」
私「・・・そうなの?」
母「そうなのよ、お願い、そうして」
私「・・・また会えるの?絶対?」
母「もちろん、絶対よ」
私「・・・わかった」

もう承諾するしかないんだと諦めた瞬間だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

次の日曜日、慶太兄さんと凉子ちゃんに姉も加わって私の引っ越し荷物をワンボックスカーに積み込んだ。最後の自転車を積み終えると私は母と手を繋いで玄関から出た。私の肩に両手を置いて母は言った。

母「じゃ、蒲田に行ってもちゃんと言うこと聞いて勉強しなさいよ」

私は頷いてから母に抱きついて『行ってくる』と言った。

車に乗り込んでエンジンが掛かると涙が溢れた。母は小さく手を振って『またね』と言った。

車が遠ざかると母は小さくなり、角を曲がると見えなくなった。

凉子ちゃんが抱きしめてくれた。すると姉は頭を撫でてくれた。

蒲田に着くまで、私は泣きやむことができなかった・・・。

 

(…次回(第22話)に続く)

 

(第20話)警察届けた?拾った財布に10万円

前回、子供時代に姉と離れて暮らすことになった経緯を話した。今回はその後の話を続けようと思う。

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姉と離れて暮らすことの寂しさも、半年を過ぎる頃にはだいぶ和らいだ。

何より生みの母と再会できたことで、置かれた状況が子供ながらにわかったことが大きい。次第に親に対する反発心もなくなっていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

小学2年生の春を迎えた。

お向かいさん家のマー君とおもちゃで遊んでいたら、お昼時になった。マー君はまだ小学校に上がる前、私より2才くらい年下だったと思う。

母「マー君、お腹すいたでしょう?ご飯にする?」
マー君「うん食べるー」

母は昨晩の残ったお総菜と玉子かけご飯を出してくれた。マー君は『美味しい、美味しい』を連発しておかわりをした。

母「マー君、沢山食べてねー」

母も嬉しそうだった。

 

あくる日、マー君が私に自分の家に来て欲しいという。私は向かいのマー君の家に上がり込んだ。

マー君の母「どくちんくん教えて、この子が昨日食べた玉子の料理はなーに?」
※私は近所の子供達から『どくちん』というあだ名を付けられていた。

私「玉子かけご飯だよー」
マー君の母「なーにそれ?どういう食べ物なの?美味しいから作ってって言うから困ってるのよ」
私「簡単だよ、ご飯に生卵をかけて醤油を混ぜて食べるだけ」

マー君の母は私に言われたとおり、ご飯に生卵をかけて醤油を混ぜてマー君に渡した。

マー君「美味しい、美味しい」

マー君の母はマー君のお茶碗からスプーンでひと口食べた。

マー君の母「あら、美味しいわね、いつもこうして食べてるの?」
私「うん、朝とかお昼にときどき」

マー君の母はその時しきりに感心していたが、今思うと、『エ?玉子かけご飯を知らないの?』という感じだ。マー君の母の出身がどこなのか知らないけど、これ日本全国にあると思ってた。どうなの?これ読んでる皆さんの出身地で昔は玉子かけご飯を知らなかったという人いるのかな?いまだに不思議…。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

それからしばらく経ったある日、今度はマー君の家で遊んでいた。

単三の乾電池で走るおもちゃの車を走らせていたら電池が切れて止まってしまった。マー君がお母さんに電池をねだるとマー君の母は電池を1本持ってきた。

マー君の母「これしかないのよ、足りる?」

このおもちゃの車は電池が2本必要なタイプだった。

マー君の母「あら、ダメね、もう1本要るのね」
私「ちょっと取ってくる」

そう言って自分の家から細い針金を1本取ってくると空いているほうの電池のソケットのプラス極とマイナス極に針金を巻き付けて電源を入れた。

おもちゃの車は見事に走り出した。

マー君の母「まー、どうしてこうすれば走るって思ったの?知ってたの?」
私「なんとなくそうかなって」

今となっては覚えていないが、きっと電気工だった父が何かやっていたのを見て覚えていたのだと思う。

それ以来、私はマー君の母から賢い子と思われたようだった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

夏休みになった。

夏休みの楽しみといえば盆踊りや縁日だ。父が自転車を買ってくれた話は前回したが、この自転車は大活躍だった。

盆踊りや縁日が楽しみといったが、近所の悪ガキ仲間との楽しみ方は普通ではない。その楽しみ方とは…

縁日翌日の早朝に小銭を拾いに行くことだ

 

盆踊りや縁日は夜まで行われることが多い。そこでは様々なテキ屋が並ぶが、すべては小銭の商売だ。お客は小銭を落としてしまうことも、ままある。

そしていったん小銭を落としてしまうと暗くて足下はよく見えない。また、後ろに並んでる人を気遣って長い時間探すことはしないことが多いし、小銭が転がって屋台の下に潜り込んでしまうことも多い。

私たちの狙いはソレだった。

私は自転車を買って貰った恩恵で、この仲間に入ることが出来た。

 

朝5時、目覚ましたが鳴った。

私「ラジオ体操行ってくるねー」
母「あら、今日はずいぶん早く起きられたのね」

自転車で公園に行くと総勢5~6名の仲間は集まっていた。

ガキ大将「今日は帝釈天だ。たぶん沢山落ちてるはず」
私「うん、急ごう」

私たちは柴又の帝釈天に向かった。帝釈天までは自転車で急いで約30分くらいだ。

 

 

ガキ大将「よし、一番乗りだ」

同じように釣り銭を拾いに来る子供たくさんいたが、その日は誰もいなかった。

私たちは手分けして屋台の下をくまなく覗き込んで小銭を拾った。中には500円札や運がいいと千円札が落ちていることもあった。

30分ほどで、1~2千円くらいにはなったものだ。ひとりあたり数百円は手に入る計算だ。当時は5円や10円の駄菓子が沢山売っていたので、これは小学生にとっては大金だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

別の日の早朝、私は友だちと水元公園にカブトムシを捕りに行った。朝早く行くとカブトムシやクワガタは面白いように捕れた。

【東京都葛飾水元公園水元公園は、東京都葛飾区にある都立公園である。東京23区中で最大規模の公園である。水域面積の多い水郷公園としての特色がある。 「水元公園」は葛飾区の町名でもあり、公園事務所が水元公園3番2号に所在する。水元公園の敷地は町名としての水元公園のみではなく東金町五丁目、八丁目および埼玉県三郷市にまたがっている。

お昼近くになって帰ることになり、私はひとりで自転車を漕いでいた。

すると大きな幹線道路沿いに黒いものが落ちているのが目にとまった。私は自転車を降りて草むらに分け入って黒い物を掴んだ。

私「財布だ」

父が好んで使うような長財布だった。

中を見てビックリした。聖徳太子が10枚以上入っていた。

 

-- 10万円の価値 --
当時の大卒の初任給がだいたい4~5万円だったことを考えると大人にとっても大金である。当時はこんな価格帯だった
・タクシー 初乗り400円くらい
・タバコ100円くらい
・少年ジャンプ100円くらい

 

私はあたりを見回した。だが、誰もいない。車の通行量は多いが、そのまま走り去ってしまう。私は交番に届けることを考えたが、交番までは遠い。それなら家に帰ったほうが近いからと、帰ることにした。

 

母「いったいどうしたの、これ」

私は詳細を話した。単に道に落ちいていたのではなく、草むらに投げ捨てられたように落ちていたこと。誰も近くにいなかったこと。汚れているので数日は経っていると思われることなどを話した。

母「お父さんに相談しましょう」

 

夜になって父が帰宅すると母は詳細に説明した。父は驚いている様子だった。

父「お前これ、盗んだもんじゃないだろうな?」
私「盗んでないよ、落ちてたんだよ」

どうやら父は信用した様子だ。父は明日警察に届けるといった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

どういう理由だったのか、もう覚えていないが、その日はお向かいさんのマー君一家と親戚の叔父さんが我が家に集まって宴会をしていた。宴もたけなわの頃、マー君のお母さんが言った。

マー君母「あ、そうそう、ぼっちゃん賢いわね、電池が1本しかないのにおもちゃの車、針金でつないで走らせたのよ、すごいわね」
叔父さん「たまたまですよ、いつもテストで30点くらいだもんな?」

私はムッとした。確かにそうだが、みんなの前で言わなくてもと思った。

マー君父「でも、ちゃんと勉強すれば100点取れるよな?」

私のほうを見てそんなことを言った。私は何も言えずに黙っていた。

マー君父「まー、いつか取れるということで…」
叔父さん「ムリだって、ムリムリ」

私は腹が立った。みんなの前でバカにされて理性を失ってしまった。

私「じゃあ叔父さん、100点取ったら電卓買ってくれる?」

叔父さん「アー?ムリムリ。取れるわけないだろ」
私「取れたら買ってくれる?」
父「そこまで言ったら買ってやるって言わないとメンツがたたんぞ」
母「そうですよ、こんなけしかけるようなこと言って」
叔父さん「じゃあいいよ、100点取ったら買ってやる。せいぜいがんばれよ」

電卓は父がよくパンフレットを持ち帰って眺めていたのを記憶している。父がほしがっているのは子供心にもわかった。父は私の自転車を先に買ってくれたことで、きっと電卓を後回しにしてくれたのだと思った。

私の心は燃えあがった。当時の電卓は非常に高価だ。1万円以上はしたはずだ。決して安い買い物ではない。私はもとより、父と母に恥をかかせた叔父さんに絶対に電卓を買わせて後悔させてやると誓った。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

次の日から、すき焼きや豪華な鍋、お寿司などが夕飯に並んだ。私は勉強せざるをえない状況に追い込まれた。一晩経って冷静になってみると、100点などとれるわけがないと思い後悔し始めた。

私は母に相談した。

私「ねぇ、やっぱり止めようかな。難しいモン」
母「みんなの前であんなこと言われて、何もしないで止めちゃうの?情けないわね…」

いつも庇ってくれる母からこんな言葉が返ってくるとは思わなかった。私は、私以上に母が悔しいのだなと思い直した。

私は、その日から勉強に打ち込むことにした。

考えてみると100点を取れるとしたら国語しかないなと思った。単純な漢字の書き取りテストならチャンスがあると思ったのだ。だが、今まではそれでも50点くらいしかとったことはない。私は次のテストの日まで夜のアニメを我慢して漢字の勉強に打ち込んだ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

いよいよ、テストの日だ。漢字の問題が配られた。

私は順調にマスを埋めていった。『わかる、わかるぞ』そう思ったとき、どうしてもひとつだけ忘れてしまった漢字があった。

もう時間がない。

そう思ったとき、ふと、隣の永田くんと目が合った。

永田くんは答案をズラして私の空白欄の自分の答えを見せてくれた。
今度は私が永田くんの空白欄の答えを見せてあげた。

これで全部のマスは埋まった。後は天に祈るだけだった。

 

翌日、テストの答案が返ってきた。

永田くんが呼ばれて『100点』と大きな声で先生に褒められた。私はヨシと思った。だったら永田くんから教わった部分と私が教えた部分は正解だったということだ。

そして私の番が来た。

 

『100点!』

 

先生におもっいっきり頭を撫でられて、ことのほか嬉しかった。私にも出来た、頑張れば出来た。永田くんと目があった。お互いに小さくガッツポーズをした。私と永田くんの二人だけの秘密ができた瞬間だった。

 

わたしは大急ぎで走って家に帰った。1秒でも早く母に知らせたい。玄関をガラッと開けると大声で叫んだ。

私「100点取れたよー」

母は台所から顔を覗かせると『本当なの?』と半信半疑の顔で言った。私は答案用紙を母に見せた。そこには大きく『100!』と書かれていた。

母「すごいわー、すごいじゃないの」

こんなに満面の笑みを浮かべて喜ぶ母の顔はみたことがなかった。

 

夜、父が帰宅するなり母は興奮気味に100点の答案用紙を見せた。

父「よくやった!よくやったぞー。あの野郎に仕返しだ」

あの野郎とは叔父さんのことだ。父は早速、叔父さんに電話かけて言った。

父「電卓はこれってきめてあるから金は用意しとけよ、男の約束だぞ、逃げんなよ」

一週間ほどたった日曜日の朝、目が覚めて居間に行くと父が座って説明書を読みながら電卓と格闘している姿があった。私は父の背中に抱きついて初めて見る電卓に『すごいね、すごいね』と言った。

その日一日中、父は私を『よくやった、よくやった』と褒めてくれた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

それからさらに数日が経った頃、我が家に大きな荷物が運ばれてきた。

中身はレコードプレイヤーの両脇にスピーカーがセットになったステレオだった。部屋に設置してみると横幅が1.5メートルはあろうかという立派なものだった。

父は買ってきたジャズを鳴らしてご機嫌だ。母もニコニコとしていつになく楽しげだ。

だが、よく考え見るとこれはおかしい。当時、そんなに収入はなかったはずで、食うや食わずではないものの、そんな贅沢品が買えるほど裕福ではなかった。しかもステレオは当時、それこそ10万円近くしたはずだ。

 

…ん? そういえばどっかに10万円あったよなー

 

私は今では、あのステレオは拾った10万円をネコババして買ったんだろうと推測している。いや、おかしいのだ。100点取るぞと言っても毎晩のようにすき焼きだ、鍋だ、寿司だというのもおかしかったのだ。そんな贅沢はそれまで一回もなかった。

 

まあいい、あの世で父母に会えたら訊いて見ることにするか…。

 

(次回第21話に続く)

 

 

(第19話)ふたりのお母さん?姉との別れ

今回は子供時代に姉と別れて暮らすことになった経緯を話そう。

第7話では小5の頃の話だったが、それよりもずっと前の小1頃の話だ。

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私は東京は葛飾区の金町で生まれた。と言ってもほとんどの人はそんな町のことは知らないだろう。だが、寅さんの葛飾柴又と言えば知ってる人も多いはず。

金町はそんな柴又の隣町にあり、私が物心つく頃はまだ昭和の情緒が色濃く残っていた。

夏になると屋台を曳いた風鈴売りが涼しい音色で家の前をとおり過ぎるし、ガラス鉢に入ったたくさんの金魚を売り歩く屋台も涼やかだ。ガランガランと手で持った鐘を鳴らして子供を呼び寄せる紙芝居のオヤジは、芝居が終わるとソースせんべいを売っていた。

【イメージ映像】紙芝居の屋台

空が茜色に染まる夕方には、甘い匂いで子供を引きつける玄米パンを売りに来る屋台や、どこか間抜けなラッパの音色を響かせて豆腐売りが自転車でゆっくり通り過ぎる、そんな時代だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある日、私は母に連れられて金町駅前に買い物に出た。

するとゴザを広げて何やら売っているスーツ姿のおじさんが一生懸命に商品の説明をしていた。私と母は少し離れてそれを見ていた。するとひとりの男が商品の事をしきりに質問すると次第に人が集まってきた。

質問男「よし、いいじゃねーか、ふたつくれ」
販売男「ありがとうございます」

すると、周りの人もつられて何人かが買っていた。

私「何してんの?」
母「啖呵売(たんかばい)っていうんだよ、物を売ってるの」

今ではもう、町中ではほとんど見かけなくなったが、縁日などではたまに見かけるだろうか。当時はどこでも見かけた光景だ。

一回り買い物をして小一時間も経った頃、もう一度同じ場所に来るとまだゴザを広げて販売は続けられていた。

私「あ?さっき買った人が売ってるよ?」
母「あら、本当だ」

なんと売り子と買い子が逆になって小芝居をしていたのだ。

母「サクラね」

当時はこんなこともザラだった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

近所の子供達「どくちーん、遊ぼー」

当時、私は近所の子供達から『どくちん』とあだ名されていた。

姉「ほら、誰かきてんぞ、毒のチン玉」
私「うるせー、その呼び方やめろよ」

4つ上の姉は子供の頃から口が悪かった。口だけではなく素行も悪い。特に親に対しては反抗心がむき出しの子供だった。

例えば、こんなことがあった。

ある日の夕方、醤油が切れたので父がお金を渡して姉に買ってこいと命じた。しかし、辺りがすっかり暗くなっても一向に帰ってこない。心配した母が辺りを探しに行って連れて帰ってきた。訊くと近くの公園のブランコにひとりで座っていたという。父は激しく怒って平手で頬を叩いた。

父「お前、何やってたんだ!」
姉「ブランコ乗ってた」
父「何ですぐ帰ってこないか訊いてるんだ!」

もう一度、平手で頬を叩いた。

姉「別に…」
父「こいつは!」

母は殴りかかる父を止めて夕飯にしようと言った。豆腐には醤油がなく、かつお節だけが掛かっていた。

こういうことが幾度となくあった。姉はとにかく親の言うことを聞かない人だった。だが、そんな姉を母はいつも庇ってくれて怒ることはなかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

その夏、私は学校の宿題に出された読書感想文が書けずに悩んでいた。どんな本を読んでも感想が思い浮かばないのだ。『面白かった』、『つまらなかった』など、ほんの一言しか書けなかった。

姉「ふーん、書けねーんだ?」
私「うるさいなー、ほっとけ」

私は諦めて公園に遊びに行った。すっかり暗くなった頃、家に帰って家族団らんで夕飯を食べていると姉が言った。

姉「宿題いーのかよ?」
私「ほっとけよ」

寝る前にランドセルに明日の教科書を詰めていると紙が落ちた。

 

それは姉が書いた読書感想文だった

 

口は悪いが困ったときには助けてくれる、弟思いのとてもいい姉だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある夜、家族で銭湯に行った。当時、私の家には風呂がなかったからだ。私は裸になると浴槽に走って行った。ふと座っている人の背中に目がとまった。私は指を差して大きな声で言った。

 

私「金太郎さんがいるよー、金太郎さーん!」

 

 

背中には金太郎が大きな鯉を抱えている入れ墨が描かれていた。父は慌てて駆け寄り腰を曲げて謝った。

父「バカ、静かにしなさい。どうもすいません、子供がお騒がせして」
入れ墨の男「かまわんよ、ボウズ、金太郎さんいいだろ」

そう言って笑いながら入れ墨の男は頭を撫でてくれた。

この話はそれだけだ。

だが似たような思い出が高校生の時にある。家の風呂が故障したときに行った近所の銭湯の入り口で中学の友人に偶然ばったり会った。

この友人は中学の時は大人しく、どちらかと言うといじられキャラで、頭を叩いたり、からかわれたりすることが多かった。私は当時のつもりで彼の背中をバンバン叩いて昔話をしながら服を脱いだとき…

 

背中全体に彫られた般若の入れ墨が目に飛び込んできた!!

 

私はしばらく硬直した。すると友人はやさしくこう言った。

友人「あー、これ気にすんなよ、昔どおりで行こーぜ」
私「あ、そうだな」

いやいや、無理だってば、それは無理!もう普通にはつきあえないよ。私は背中をバンバン叩くことはもう出来なかった。適当に話を合わせて出てきた風呂上がり…

友人「なー、飲みいこーぜ、飲めんだろ?」
私「あ、そうしたいとこだけどよ、お袋が飯作って待ってっからゴメン。また今度!」

私はこうして彼から逃げた…。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

母「起きなさい、早く起きなさい、もう来るわよ」

私と姉は深夜に叩き起こされた。静けさの通りに響く父の怒鳴り声。父は酒乱だった。

大声で怒鳴りながら遠くから歩いてくるが、酔っていてフラフラなので家に着くまでには時間が掛かる。その間に素早く着替えて母と3人で家を出ると、事情を汲み取ってくれているご近所さんの家に逃げ込んだ。

母「いつもすいません、本当にご迷惑ばかりおかけして」
近所のおばさん「いんですよー、気にしないで、さぁ入って」

こんなことが2~3ヶ月に一度はあった。姉が父を軽蔑している理由がこれだった。父は酒を飲むと止まらなくなる人だった。何度も酒を止めるよう母が説得したが、一時しのぎにしかならなかった。

近所のおばさん「おたくも大変ねー、こうちょくちょくじゃねー」
母「ここ2週間は飲まなかったから止めてくれたかと思ったんですけど…」
近所のおばさん「2週間分、飲んできちゃったみたいねー」

そう言うと2人はギャハハと笑いあっていた。笑うしかなかったのだろう。

 

翌日、家に帰ってみると家中の窓ガラスは割れ、襖と障子も破かれていた。母はひとつづつ拾って片付けながらこう言った。

母「不思議ねー、テレビだけは壊さないのね…」

当時、テレビは非常に高価だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

夏休み入ったばかりのある日、朝起きると姉に起こされた。姉は着替えてから公園に来いという。公園に行くと姉は別れの挨拶を切り出した。

姉「あたしさ、本当のお母さんのとこ行くことになったから、今日からいないからな」
私「えぇ?何で?本当のお母さんて何?」
姉「忘れちゃったの?今のお母さんは本当のお母さんじゃないよ、後から来た女の人。忘れたの?」
私「知らない。嘘!お母さんじゃないの?」

姉はゆっくり説明してくれた。父と実の母は私が3才の頃に離婚している。私は幼かったため、そのことをすっかり忘れていた。今の母を実の母と思い込んでいたのだ。

私「嫌だ!絶対イヤ!一緒に行く」
姉「一緒は無理なの!しょうがないんだってば。またいつか一緒に住めるよ」

実の母は子供を2人とも引き取りたかったが、父が私だけは許さなかったそうだ。姉が反抗していた真の理由がわかった瞬間だった。

 

金町駅の改札で姉を見送った。

姉は私の頭を撫でると『どくちん元気でな』と言った。私は大きな声で泣く事しか出来なかった。

姉は改札を通り抜けて階段の前で振り向くと私たちに手を振った。よく見ると近くでこちらを凝視する女性がいた。私は直感的に実の母だと思った。その人は顔にハンカチをあてて泣いていたからだ。

私は母を見た。母はその女性に軽く会釈をして挨拶しているようだった。まもなく女性と姉はホームに上がり見えなくなった。

激しく泣く私の頭を撫でながら母は『ごめんね、ごめんね』と何度も言って泣いていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

父の口癖は『人に迷惑をかけるな』だった。

私はだいぶ早い反抗期に入った。父に嫌われれば姉のところに行けると思ったからだ。ある日、私は友だちに自転車を借りて返さなかった。家の庭に乗り捨てた。友だちの母親が自転車のことを訊きに来た。私は庭にあると母に言うと、母は丁寧に謝罪して自転車を返した。そのことを聞いた晩、父は激高した。

父「人に迷惑を掛けるなとあれほど言っただろ!」

そう言うとズボンのベルトを外して、私の足を激しくむち打った。私は泣かないようにずっと我慢した。そういえば姉も叩かれても泣かなかったと思い出した。やっと姉の気持ちがわかった気がした。

母「もうそのくらいで勘弁してあげて!」

母は私を抱きしめて割って入った。

父「二度とするんじゃないぞ、わかったな!」

私は何も応えなかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

翌朝…

母「朝ご飯、卵かけごはんとお茶漬けどっちがいい?」
私「…卵かけごはん」

母はすぐに卵かけごはんを持ってきてくれた

私「やっぱりお茶漬けがいい」
母「えぇー?しょうがないわねぇ」

しばらくして母はお茶漬けを持ってきてくれた

私「…やっぱり卵かけごはんにする」
母「いい加減にしなさい!」

母「もうお姉ちゃんはいないの!どうしようもないの。お母さんの言うこと聞いて」
私「でもお母さんじゃないもん」

そう聞くや否や、母は私に平手打ちをした。私は初めて母にぶたれた。母は私の肩を抱いて言った。

母「生んだお母さんじゃないけど、でも私もお母さんよ。二人お母さんがいるのよ」

母の目から涙が溢れていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

2学期が始まったある日、帰ろうと校門に出たら姉がいた。

姉「よ、どくちん元気だったか?」
私「おー、びっくりした!帰ってきたの?」
姉「ちげーよ、お前ビンタしに来たの」
私「何で?」
姉「あんま、今のお母さん困らせんなよ。いい人なんだから」
私「え?ねーちゃんずっと嫌なことしてたくせに」
姉「オヤジにな、お母さんにじゃねえよ」
私「そうなの?」
姉「まーな。でもお前はどっちにもいい子にしてろ」
私「何で?」
姉「いいからしてろ。お母さんが困るからな。いいな?」
私「・・・ねーちゃん帰ってきたらな」
姉「それは無理なんだって。いつか一緒に住めるからっつってるだろ」
私「・・・」
姉「本当のお母さんが一人で可愛そうだからあたしが行くことにしたの。もういい加減わかれよ」
私「じゃ、会わせて、本当のお母さんに会わせて」
姉「うーん、それはどうすっかな」

 

姉は元の家に電話をして私を実母に会わせて返すからと伝えた。姉と電車に乗り蒲田駅の改札を出るとその人はいた。頭を撫でながら言った。

実母「よく来たね、偉いね」

近くの喫茶店でパフェを食べながら3人で話した。

実母「銭湯では本当に困ったんだよ、お漏らししちゃってね」
姉「お前、1才のとき銭湯でウンコ漏らしたらしーよ」
私「えー、ウソだー」
姉「本当だってー」

私の知らない私の逸話を話す実母は、実に楽しそうだった。だけど、取り返しのつかない空白の時間を埋めるには、あまりにも短い再会だった。

実母「今のお母さんはとてもいい人なのよ、悪いこと言ったりしたりしないで。約束して」
私「うん、二人のお母さんだよね」

あっという間に帰る時刻になった。改札で手を振る実母は泣き出しそうだった。再び姉と金町に戻り、その足ですぐ姉は再び蒲田に戻っていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある朝、起きると父が庭に行けという。

庭には燦然と輝く子供用自転車があった。

母「お父さんが買ってくれたんだから、ありがとうは?」
私「…ありがとう」

父はニコニコと笑った。

 

私は自転車を友だちから借りなくてもどこにでも行けるようになった。隣町のプールや公園、縁日など格段に行動範囲が広がった。何より自転車を持つことで友だちが増えた事が嬉しかった。

 

数日後、私は母に言った。

私「向こうのお母さんがね、お母さんはいい人だって」
母「私のこと、そう言ったの?」
私「うん。やっぱり二人のお母さんだった」

そう私が言うと、母は嬉しそうに笑ってくれた…。

 

(…次回(第20話)に続く)

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(第18話)ホストでバイト?大人のおもちゃを目で誘う

新聞広告に釣られてホストでバイトをしようと思って面接に行ったら、大人のおもちゃを出されたときの話をしよう。これはお嬢がまだ結婚する前の20才頃、私が金欠で困っていたときの話だ

(※お嬢とのエピソードはこちら)

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私はお嬢とのエピソードでも触れたが、この頃は常に金欠だった。月末近くになると食事代にも困るほどで、自分でご飯を炊いてカップラーメンに入れて飢えを凌いだことも多々あった

当時の私の毎月の収支はこんな感じだ

・収入:手取り12~13万円
・京浜蒲田のアパート代:2万6千円
・公共料金(電気ガス水道):5千円
・スーツ、靴、コートなどのローンの支払い:2万円
・食費:6万円(ほとんど外食)

なんだ、少し残るではないかと思われるかも知れないが、週に何度も会社での飲みの誘いや、お嬢を始め学生時代の友人からの飲みの誘いがあるなど、とにかく頻繁に飲みに行くため常に金欠だった

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

そんな私にたかる会社の同期S井がいた

こいつの両親はゴルフ靴の製作を行う職人で休みが取れないほどの注文がきていて捌ききれないほどだという。このゴルフ靴は末端で6万円もしたという代物だ

時はバブルの足音がはっきりと聞こえ始めていた頃で、特にゴルフはすでにブームとなっていた。全国のゴルフ場の会員権は投機対象にもなっており、ゴルフ関連の業界は沸きに沸いていた

 

要するにS井は金持ちのぼんぼんであった

同期だからS井ともよく飲んだ。その際私は嫉妬に狂う事実を聞いた

S井「やっと説得できた、ソアラツインカム・ターボ買って貰った」
私「マジか…」

【イメージ映像】トヨタ ソアラ

それだけならいい。羨ましいが仕方がない親ガチャの話だ。しかし、こいつは事もあろうに休みの日に埼玉の蒲生からソアラを飛ばして私のアパートまできてこう言った

S井「腹減った…、財布に100円しかねぇ。何か喰わせろ」
私「はぁー?マジかお前…ソアラ乗ってて100円とかありえねぇ」

しょうがねぇなといって近所の定食屋でカツ丼を驕った覚えがある

また、あるとき会社で昼を喰った後、私の後を追いかけてきてこう言った

S井「タバコくれよ、1本でいい…、財布に100円しかねぇ」
私「100円あんだろ?ゴールデンバットでも吸えよ」

 

 

当時、ゴールデンバットは100円もしなかった

S井「ムリムリ、あれだけはムリ」
私「なんで俺より金ねんだよ、おっかしいだろ?」

こんとき、いつもS井は『でへへ』と笑ってごまかしていた

S井「いつもわりぃからさ、今度ウチ来いよご馳走すっからよ」
私「おーいいね、たまには返せよ」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

こうしてしばらく経ったある日、私とあと2人の同期でS井の蒲生の家に遊びに行った。約束通り母親がおいしい料理を用意してくれていて、酒もいろいろと取りそろえてくれていた

さんざん食べて飲んだ後、じゃあ帰ろうとなったとき、S井が見せたいモノがあるというので、ソアラの駐車場までみんなでついて行った

S井「買っちまったカロッツェリア
私「マジか…これ30万くらいすんじゃね?」

【イメージ映像】Pioneer Carrozzeria Car Audio

そう、こいつが金がない、金がないと言っていたのは、これを買ったからだった。つまりソアラは買って貰ったが、カロッツェリアまではムリだったということだ

と言うことはだ、私が驕っていた金はカロッツェリアに化けたことにもなる

私は『チッ!』と心の中で舌打ちして帰宅の途についた

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

それから1週間ほどしてからだったと思う。S井が深刻な顔をしてこう言った

S井「俺のカロッツェリア知らねぇ?」
私「は?ソアラに積んであんだろ?なんで?」
S井「窓割られて盗まれたんだよ」
私「マジかよ?そらひでーけど何で俺に聞くの?知るわけねーじゃん」

S井「お前ら場所知ってんじゃん」

こいつマジかよと思った

私「えー?よりにもよって俺ら同期を疑うのかよ、いい加減にしろよテメェーふざけんなよ」
S井「…」

いくら金欠とはいえ、同期のモノを盗んで売るとかありえない。これ以降、私とS井とは公私ともに絡むことはなくなった…

以前の第8話のブログで私は友人に裏切られたことが幾つかあったと言ったが、この件がその一つだ

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もう一つは、第14話で書いたブログにあるが、バイトに誘った中学の同級生の仲間にバットで襲われそうになったときだ

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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

そしてさらにもうひとつある

本当に嫌な思い出だからあまり語りたくはないが…。

それは中学時代の同級生が私のキャッシュカードを盗んだ件だ。後から考えるとおかしいことは沢山あった

週に何度も遊びに来るし、キャッシュカードの暗証番号をやたら訊くしで、しつこいから誕生日だと言ってしまったことが悪かった

ある日、キャッシュカードがないことに気づき、平和相互銀行に行きキャッシュカードを紛失したと言った

銀行員「確認しますね、少々お待ちください」

ほどなくして銀行員が言うには、すでにATMから下ろされていると言う

私「本当ですか?」
銀行員「ビデオ録画があります、見ますか?」

私は銀行員とともにビデオを見た。同級生だった

ATMを操作して金を引き出していた

私「友だちです、信じられない…」
銀行員「あ、戻ってきてまた2千円下ろしてますよ。悪質だなぁ…」

私は頭が真っ白になった…。

銀行員「残高が1千円未満になるまで下ろしているのは悪質です。すぐに警察に来て貰いましょう」
私「はい、でも友だちなんで何か事情があったのかも…」
銀行員「それは甘い考えですよ、最後の2千円まで下ろしてるんですよ?本人のためにもなりませんよ!」

私はどうしても警察沙汰にするには踏ん切りがつかなかった

この後の経緯は語りたくもないので省略するが、結局、警察には届けなかった。だが、今思うと銀行員のいうとおり警察に届けるべきだったと思う

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私の金欠はボーナス時期になると多少は緩和されたが、慢性的な欠乏症の特効薬にはならなかった

正社員で働いているにもかかわらず情けないが、私は休日に日払いのバイトがないか、新聞を買ってきてバイト募集欄をくまなく探した

するとこんな募集が目に入った

 

『ホスト募集、日給1万円から。即日日払い可能、場所:赤坂

 

願ってもない好条件だった

たった1日で1万も貰えるのか、それも日払いか、これだと思った。私は早速募集先に電話を掛けてアポをとった

 

数日後、私は雨の中、買ったばかりの新品の傘をさして赤坂のその事務所に向かった

その事務所はこ綺麗なマンションの一室にあった。ベルを鳴らすと女性の声で『どうぞお入りください』と案内された

中に入るとタンクトップ姿で飛び切りの美女が出迎えてくれた

【イメージ映像】タンクトップに短パン たわわに実った胸は推定Gカップはあろうか。はち切れんばかりだったことを鮮明に覚えている

タンクトップに短パン姿、たわわに実った胸は推定Gカップはあろうかというシロモノを揺らしながらソファに座るよう促された。私は新品の傘を傘立てに立てた

私「よろしくお願いします」

奥からもうひとりイカツイ角刈りのオッサンが現れた。一目見てそれとわかる、その筋の人だった

ヤーサン「うん、よろしくね、リラックスして。一応身分証みせてくれる?」

私は言われたとおり会社の社員証を渡したが、チラッと見るなりすぐに返された

ヤーサン「君、英語できる?」
私「英語ですか?そうですね、中学生英語ぐらいでしょうか…」
ヤーサン「うん、簡単な会話ぐらい出来そうだな。君は人気でるかもしれないよ、やってみるかい?」
私「はい、具体的には何をすればいいでしょうか?」

私はこの後の話をきいて戦慄を覚えた

ヤーサン「あれ持ってきて」

すると、たわわな美女が大人のおもちゃを持ってきてテーブルにトンと置いた

 

ヤーサン「これでな、外国大使館の奥様方を慰める仕事、若い男を希望してるから君はぴったりはまるよ」

 

するとヤーサンの奥でたわわな美女が目と身振りでこう合図した

 

たわわな美女『あっちで使い方教えてあげる!』

 

私はこのブログで何度も言ったが、ヘイポーである。こんな恐ろしいことに関われるはずがないではないか。私はすかさず首をひねってこう言った

私「すいません、自分にはとても勤まりそうもありません、お時間を取らせてしまって申し訳ありません。今日はこれで失礼いたします」

そう言うと私は慌てて立ち上がり、玄関で一礼してマンションを飛び出た

『あっ、しまった!傘を忘れてきた』

だが、とても戻る勇気はない。しょうがないからと傘は諦めることにして赤坂見附駅まで濡れながら走った

こうして休日にバイトする計画は頓挫した

知らなかった。ホストのバイトと書かれていたから、てっきりおばさんの横で酒を飲んでいればいいと思いこんでいた。私は新聞に掲載された仕事は二度と手を出さないと決めた

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

そうは言ってもやはり金欠であることに変わりはない。どうしようかと考えあぐねていた

ある日、暗証番号を変更して使えるようになったキャッシュカードを持って近くの銀行に行った。そのATMは数人しか入れない狭い個室だった。私が入ったときは誰もいなかった

ATMを操作しようしたとき、ATMのキャッシュ取り出し口に数枚の万札が飛び出ているのが目に映った。午後3時を過ぎていて銀行員も客も誰もいない。私ひとりだ。目の前に映る数枚の万札は、喉から手が出るほど欲しい

 

私は一瞬、盗って走って逃げようか迷った

 

だが、私は悪魔を振り払った。それではキャッシュカードを盗ったあいつとおなじではないか。インターホンを押して銀行員を呼び出した

銀行員「はい何か?」
私「あの誰かお札を取れ忘れた人がいるみたいですよ」

銀行員が出てくるとお札を確認してなにやら操作していた。私の身分証を見せろというので渡してコピーも許可した。電話番号も訊かれたがアパートに電話はないからと伝えた

私は自分の金を下ろした後、とぼとぼ歩いていると、スーツを着た若い男が血相を変えて銀行のほうに走り去った

私は大笑いした。きっとあの男だ。年は自分と変わらない感じだから、きっと大切な金だったんだろう。盗らないで良かったと思った

 

数日後、再びその銀行のATMに行くとあのときの銀行員と目があって話しかけてきた

銀行員「先日はありがとうございました。すぐご本人が取りに見えられてすごく感謝されてました。それとお礼をしたいからと申されていましたが、何かご希望はありますか?」
私「お礼は辞退します、今後お気を付けくださいとだけお伝えください」

相手がオッサンなら貰ったかもしれない。だが、年格好が同じようだったから辞退することにした

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

相変わらず金がない

もう、『カップラーメン+ライス』もいい加減飽きてきた

私は禁断の果実に手を出した。会社から支給されている定期券を解約したのだ。解約しても一時しのぎにしかならないし、返って損することは目に見えていた

それはわかっていた

だが、飲みに行く誘いもあったり、もう少しマシな物を喰いたい気持ちが勝ったのだ

私は束の間の安堵感に包まれた

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私が仕事帰りに改札口で切符を買っているとM澤先輩に声を掛けられた

(※M澤先輩のことは下記のブログでも取り上げている)

tubakka.hateblo.jp

 

M澤先輩「あれー?どうした定期は?」
私「あ、何か酔っぱらった時に落としちゃったみたいで…」
M澤先輩「ふーん、もったいねぇな気をつけろよ」

私は嘘をついた。本当のことはとても惨めで言えないからだ

一週間くらい経ったある日、出社するとA山女史に声を掛けられた。A山女史は課内で経理を担当している30才くらいの先輩女性社員だ

A山女史「定期券なくしたんだってぇー?ダメじゃーん」
私「すいません、何か酔っぱらった時に落としちゃったみたいで…」
A山女史「しょうがないなぁ、今回だけだぞ!」

そう言うと私に新しい定期券を渡した

私「え?定期券?なんでですか?」
A山女史「だから…みんなには内緒ね、お金ないんでしょ?今度だけよ」
私「…ありがとうございます、ありがとうございます、助かります!」

私は何度も何度も頭を下げて感謝した。そして本当にあのとき、ATMの金を盗らなくてよかったと思った

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

今にして思えば、A山女史がどうやって定期代を捻出したのか、どうしてもわからない

正式に会社に請求できるわけがない。理由がないからだ。私も請求書も何も書いていない。考えられる事は二つだ

不正経理を行った
・自腹で立て替えてくれた

だが、どちらも考えられない

同じ課だったとはいえ、10才近く離れた男性社員のためにそんなことするはずがない。そう考えるのが自然だ

では何だ??

答えは未だに出ていない…。

 

(…次回(第19話『ふたりのお母さん?あるとの別れ』)に続く)

tubakka.hateblo.jp

(第17話)輪廻転生?一期一会のイケメン

【イメージ映像】超イケメンのタケ

今回は高校卒業間近に夭逝したタケ(仮)について思い出を残しておこうと思う

タケは高校の同級生であり、3年間同じクラスだった
彼を一言で言い表すならスターのようなオーラを放つ超イケメンだ
彼の伝説はいろいろあるが、例えばこうだ
・中高の時、何人もの女子学生から手紙を渡された
・手紙を渡してくる女子学生には遠方の子もたくさんいた
・高校に入ると彼女の一人に加えてくれと多くの女子高生から懇願された

もはや彼女にしてくれではなく、その一人にしてくれ、友達でもいいからと懇願されるようになっていた

高校に入学して初めて同じクラスになったタケを見たとき、スゲー男前がいるなと思ったものだ。顔だけではない。身長も175cm以上だったかと思うが、スタイルが良く、足も長くてスラリとしてた

私たちが通っていたのは工業高校だったが、公立だったこともあり私服の通学が許されていて、校則などは無いに等しく非常に緩い学校だった

タケはよくポロシャツに黒いスラックスを穿いて通学していた。これがまた抜群に良く似合っていた。立っているだけで絵になってしまう男だった

また、タケは暴走族ではなかったが、族連中とも非常に仲が良かった。話が面白くイケメンと相まって何か人を引き付けて放さないようだった

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

高1の最初のホームルームの授業の時、私は遅刻をしてしまった。遅れて次の授業の時に教室に入るとみんなに笑われた

タケ「お前さ、学級委員長に推薦しといたからよ」
私「えぇ?止めてくれマジで?」
タケ「つーか推薦、通ったから決まりだけどな」
私「マジかよー、めんどくせー」
タケ「大事な時にいないお前が悪い」

かくして私は高校3年間、学級委員長となってしまった

 

この工業高校で最もキツイのは期末テストなどではなく、実験レポートの提出だ

毎週のようにある電気科の実験結果について、分析や考察をしてレポートに提出する必要がある

これが非常にキツかった

B4のレポート用紙にビッシリと10枚前後の作成が必要だ。レポートというより中身は論文のそれに近い。考察には根拠を示すグラフを作図する必要もあったりする。この分析や考察の分量が少なかったり、レポート内容が誰かの写しだったりすると突き返された

また、厄介なことにこの実験レポートは授業中には書き上げることが出来ない。時間がなさすぎるからだ。だから家に持ちかえって書くか、または教室に居残って書かなければならなかった
それが毎月何回もあり、年間にすると30~40冊程度を提出する必要があった

では、突き返されたまま放置するとどうなるか?

それは留年になる。これはダブりと呼ばれた

私たちのクラスにはいなかったが、他のクラスにはダブりが数人いた。ダブりはひとつないし、繰り返せばふたつ年上となってしまう。だから、大抵はダブったらみんな退学してしまう

期末テストの赤点は、再テストを受けたり、補習をうければなんとかなった。だが、この実験レポートだけは溜まってしまうと後から思い出して書き上げることは至難の業で、溜まってしまった生徒の多くが退学していった

どんなに校則が緩くても、この実験レポートの提出ルールだけは絶対に曲げてはくれなかった。どんなに遅くとも毎年2月末にはすべての実験レポートを提出しなければならない

私たちのクラスにはダブりはいなかったと言ったが、それはダブりの全員が退学したからだ。最初の1年でクラスの1割が消えた

どういうわけか知らないが、私はこの実験レポートを書くことが好きだった。

だから未提出はおろか、どんなにバイトが入っていても提出遅れ(次の実験授業までに提出が基本)もほとんどなかった。それがタケには私がマジメな男に映ったらしい

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある日の放課後…

タケ「お前にさ、頼みがある!」
私「レポートなら手伝わねぇよ」
タケ「金払うよ金」
私「やだね、どうせバックレるじゃん」
(※バックレる≒しらばっくれる)
タケ「頼む!一生のお願い!俺絶対ダブれないから!」
私「それみんなそう」
タケ「そう言わずに頼む!頼む!」

私は超イケメンのあまりのしつこさに根負けした

私「しょうがねぇな、今回だけだかんな」
タケ「さすが学級委員長!」
私「それ、スゲーむかつくかんな」

こうして実験レポートはタケの家で一緒に書くことになった

 

-- 読者諸君は言うだろう --
・何で一緒に書く必要があるのか?
・お前ひとりで書けばいいだろ?
残念ながらそうはいかない。レポートは直筆で書く必要があるからだ。そして教科の先生は必ず過去の筆跡と照らしあせて代筆をチェックする。筆跡が違うと書き直しのため突き返される。もちろん、レポートの内容は変更させる必要もある。私が書いたモノを手渡していたのでは時間がかかりすぎる。私がアドバイスしながら書いて貰った方が早いのだ
読者諸君、ご納得いただけただろうか?

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある夜、私はタケの家に行くことになった

私の家からタケの家までは自転車で30分程度だっただろうか。いわゆる隣町だった
タケの家は公団住宅の確か3階あたりだったと思う。ベルを鳴らして上がらせてもらう

家の中に入ると老夫婦と弟さんがいた。父親は足が悪いらしく引きずって歩いていた

そして何気なく弟さんを見ると違和感を覚えた

タケ「あ、弟なちょっとちげーから。気にすんな」
私「いや別に…」

おそらく発達障害か何か、そんな雰囲気を感じた

タケ「じゃ、始めっか」
私「お、すぐ終わらそ」

私は自分の実験レポートを思い出しながら、違う観点で分析と考察を提案した。これならコピーしたとは思われないからだ。また、タケの過去の実験レポートをみながら言い回しを真似した

タケ「お前スゲーな、これならバレねぇ」
私「どうかな、タケには出来ねー考察だかんなー、出来すぎててバレルかも」
タケ「くそっ!、今日だけは許しとくか…」

二人してガハハと笑った

私「どうでもいいけどよ、溜まってんなレポート」

確認すると3~4冊くらい溜まっていた

タケ「残りもよろしく!」
私「そうだと思った…」

乗りかかった船だ…。私は残りも手伝うことにした

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある日、教室に入ると族のヒロ(仮)が話しかけてきた。ヒロはパンチパーマをかけていて学ランの裏生地に龍虎の刺繍を入れた本格派のヤンキーだ

(※当時の関東だと『ツッパリ』と呼ばれていたが、今は『ヤンキー』の呼称が一般化したのでこう呼ぶこととした)

【イメージ映像】学ラン 裏生地に刺繍入りの一品

ヒロ「お前さ、タケにレポート書いてやってんだって?」
私「ま、有料でね」
ヒロ「俺のも書いてくれよ、金払うからよ」
私「もう無理だ、時間が取れねーから」
ヒロ「書けよ」
私「ぜってーやらねー」
ヒロ「てめぇー」

ヒロはコブシを握ってみせた

私「殴ってもやらねーもんはやらねー。つかできねー」
ヒロ「そこを頼んでんじゃんよ!ダブるんだよこのままだと」
私「だから時間が取れねーんだよ、他にもいるだろ書けるやつ」

 

-- 読者諸君は言うだろう --
・お前よく断れたな
・前のブログで自分はヘイポーとか言ってただろ
・意外と根性あるんじゃね?
あなたは正しい。確かにその通りだ。だが、考えてみてほしい。今断るなら最悪2~3発を喰らう程度で済む。それを承諾して書けなかった場合、かつ、それが元で留年となった場合、私がどうなるのかを…
読者諸君、ご納得いただけただろうか?

 

ヒロは無駄だと思ったのかスゴスゴと退散した

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

タケの家。次の実験レポートに取り掛かっている

私「何でバラすんだよ、ヒロに凄まれただろ?」
タケ「わりぃー、つい口走った」
私「タケので手一杯だから、もう広めないでくれな」
タケ「わかった、わかった」

私は実験結果のグラフの作図を手伝うことが多かった。作図なら筆跡は関係ないからだ。ただ、数字や文字を書き込んだりするのはタケが行わなければならない。筆跡でバレるからだ

タケ「はぁー、めんどクセー。お前よく出来るなこんなの」
私「ん、まーそんな苦でもないよ」
タケ「マジメだなー」

タケ「お前がどんな顔でセンズリこくのか見てぇーよ」
私「見せるか!」

ゲラゲラと笑いながら良くくだらないことを言い合った

タケ「そういえばよ、この間、女が興味あるって言うから占い師のとこで姓名判断してもらったらよ」
私「どの女?たくさんいるからなー」

タケ「まー、聞けよ。そしたらよ、名前の最後の漢字が4画だから19才で大厄になるけどそれを超えたら大成するって言われたよ」
私「ふーん、占いとか信じねーけどなぁ。大成するってならいいな」

 

-- 4画の意味 --
タケの『姓+名』の総画数、姓の画数、名の画数の場合に最後の名前が4画だったパターンの姓名判断の占い結果。だから最後の名前が4画の人、全員がこの占いに当てはまるわけではないのでご注意ください

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

高校1年の2月末。とうとうこの日が来た。実験レポートの未提出者が1割程度いたが、そのなかにヒロもいた

私は声を掛けることが出来なかった

ヒロと数人の退学者はひっそりと教室を去って行った

 

もちろん、タケは進級できた

 

一段落出来たと思ったが、それは2年になっても変わらなかった

タケ「またよろしく!」
私「もう、しょうがねぇか」

結局、私の実験レポートの手伝いは卒業まで続いた


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

高校3年の秋、修学旅行があった

私は学級委員長として生徒を統率しなければならない
私は思った『そんな事出来るわけないと』

何しろヤンキーや自分勝手な連中の集まりだ。半ば投げやりだ

旅行先は四国の金比羅さんと安芸の宮島、広島の平和記念公園などだった

この旅でタケにまたひとつ伝説が加わった

自分も含めて、やはり統率など出来なかった。広島の旅館に泊まった際、夜になると酒を買いに出かけた(先生は見て見ぬふりだ)
このとき、タケのグループはお遊びでナンパをした。

そのときのひとりの女子学生がタケに心底惚れてしまった。
タケと高校の名前しか伝えていなかったにもかかわらず、その女子学生は、なんと数週間後の平日に広島から東京まで出てきて学校に押しかけてきた

タケという男はそれほど人を引きつける魅力の持ち主だったということが証明された逸話だ

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

高校3年の3月、卒業を控えたある夜に電話が掛かってきた。それはタケの訃報を伝える電話だった

同級生A「車で湘南の帰り道、朝方120キロ、ノーブレーキで事故ったらしい」

頭を棍棒で殴られたような衝撃だった。信じられない

数日後、連絡をとりあってお通夜に参加した

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

すっかり日も暮れた。通夜には200人はいただろうか

中にはスーツを来たオッサンのグループもあった。話している内容から察するにタケが決まっていた就職先の某大手コピー機メーカーの人たちだった

だが、多くの参列者のほとんどは学生だった。その中でもひときわ多いのは女子生徒だった。きっとこの中にタケの『彼女たち』がいたことだろう。彼女たちのすすり泣く声が途切れることなく響いていた

詳細を知るものから聞くと、どうも車の持ち主は複数いる彼女のひとりで、事故ったときに助手席に乗っていたらしい。今、病院に重傷で治療中とのことだったが、命は助かったとのことだった

 

同じクラスの私たちにお焼香の番が回ってきた

そのとき、参列者のひとりの女子生徒が母親に訊いた

 

女生徒「最後にお顔を拝見しながらお別れさせてください」

母親「どうぞ、直接お別れしてあげてください」

 

母親は棺の顔の部分を開いた

女子生徒は覗き込むと大きな声で泣き崩れた。列をなした人が次々に覗き込むと同じように泣き崩れたり、嗚咽が漏れた

そして私の番が来た

タケの顔は縫合されていたが、なんとか元のイケメンが保たれていた。それを見ると私もやはり慟哭してしまった

年老いた両親と弟が涙目に映った。私は思った

『タケ、絶対卒業しなきゃって言ってたの、両親と弟のためだろ、逝ってんじゃねぇよ』

 

泣きながら外に出ると高校の担任がいた。担任のS川先生は小さな背に禿げ頭、黒縁眼鏡の典型的なオヤジだ。静かにボソボソ話す大人しい印象だった

私「先生、タケが…」

泣き崩れる私の肩にポンと手を置いてS川先生は言った

S川先生「本当に信じられない…こんなことは残念すぎる」

すると特攻服を来た族が近づいてきてS川先生にこう言った

特攻服「センコーがこういう時だけ来てんじゃねぇよ、俺はセンコーだけは許せねぇ」

 

【イメージ画像】特攻服の男

驚いたことに先生は怯まなかった。怒鳴り返したのだ

S川先生「君は酷い先生に会ったようだが、私は違う!いい加減な気持ちで生徒と向き合ったことはない!君の許しなどまったく必要ない!」

怒鳴り返されて特攻服の男のほうが怯んだ。チッと言って向こうへ行ってしまった

 

私は本当の先生を見た思いがした

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

卒業して春がきた

クラスの中で特にタケと仲の良かった連中でタケの墓参りに来た

【イメージ映像】湘南の墓地

私はずっと気になっていた姓名判断の『19才は大厄』の話をした

私「満で言うとまだ18だろ、数えで言うと20になるから、この占いって外れてるはずだろ?」
卒業生A「だけどあまりにもハマり過ぎだろ?当たっちまったってことなんじゃねーの?」

私「占いのことはわからない。だけど、きっと将来は大成したはずだ」
卒業生B「それはそうだろ、なんせ人垂らしだからな」

卒業生C「そういえば、助手席の彼女には、まだタケの事、言ってないって」
卒業生B「あー聞いた、ショックが大きすぎて責任を感じるとヤバいからって」

そうか、そうだろうなと思った

どちらが誘ったのかは知らないが、自分の車で亡くなった事実は重たい

私は墓前に祈りながらタケに話しかけた…

『お前、汚えぞ。借りも返さねぇで逝きやがって。俺がそっちに逝ったらちゃんと返せよ。あの世の金はいらねー、代わりにとびきりの天女用意しとけ。どうせもう引っかけてんだろ?』

 

タケ、もう俺もいい年になった。もうじき貸しを取り立てに逝くからな、その時まで、酒用意してもう少し輪廻転生は待っとけ。約束な!

 

(…次回(第18話)ホストでバイト?大人のおもちゃを目で誘う)

tubakka.hateblo.jp

(第16話)万引き指南?姉のビンタにすすり泣き

中1の夏頃、私は同じクラスのU原とよく話すようになっていた

U原は体が小さく私よりだいぶ背が低かった。痩せていてどちらかといえば目立たない存在だった。私も目立つ存在ではなかったので、その点はそれほどかわらない。だが勉強もスポーツも平均点には及ばない子でもあった

だが、大変な物知りだった

例えば、マンガ雑誌の付録のシールを私がカバンに貼ろうとしたとき

U原「あ、待って。シールの角を丸く切ると剥がれにくいよ」

…とか、当時流行っていたスーパーカーの話をしていたときには

U原「でもスーパーカーって燃費悪いよ」
私「ネンピってなに?」
U原「1リットルのガソリンで何キロ車が走れるかの事だよ、日本車だと10キロくらい走るけどスーパーカーは1キロも走れないよ」

…など、中1で『燃費』という言葉を知っていることに驚いたものだ

のちの中3の時、社会科の受け持ちで担任でもあったY尋の授業の事はいまだに忘れることが出来ない。この『燃費』が役立ったからだ

Y尋「日本車が世界で売れている理由は何だと思う?手を挙げて答えろ」
生徒A「安いから」
Y尋「そうだな。他には?」
生徒B「壊れないから」
Y尋「それもある。壊れにくいな、他には?」
生徒C「小さいから?」
Y尋「それはどうかな、三角だなぁ、他には?」

他に手を上げる生徒はいなかった

Y尋「いないか?最後にひとつあるぞ…」

1~2分経ってから『もしかして…』と思い私は手を挙げた

Y尋「おぅ、なんだ?」
私「燃費がいいから」
Y尋「そうだ!そのとおりだ!燃費がいいからだ」

クラス中が私を見て『おぉ~』といった。ある女子生徒が言った『ネンピってなに?』

Y尋「燃費っていうのはな、1リットルで車がどんだけ走るかだ」

全生徒「へぇー」

私以外だれも知らなかったのだ。私はくしくも2年も前にU原に教えられたことで初めて授業中に注目を浴びることが出来た

急速に仲良くなった私はU原の家に良く遊びに行った

U原の家は狭かったからと思うが、子供部屋として向かいのアパートの一室がU原の部屋として充てがわれていた。このことが親の目を遠ざける一因になっていたと思う

U原「ウィスキー味見してみる?」
私「え?そんなのあんの?」
U原「親父がどっかから貰ってきたサンプル小瓶があるから」

私はひと舐めしてみた。『うぇ~』といって吐き出した思い出がある。そのときはひどい味だとおもったものだ(今と違って)
こんな調子でとにかく目立たないくせに悪さを私に教えるのだ

U原「タバコ吸ってみる?」
私「え?そんなのもあんの?」

スッと肺に入れてみると私は悶絶した

私「ごほっごほっ、これはダメだ」

激しく咳き込んですぐに消した。U原はゲラゲラ笑っていた

私にアルバイトを一緒にやろうと誘ってきたのもU原だ。ビル掃除、新聞配達などを一緒にやった記憶がある。

今でも中学生のアルバイトは受け入れてくれるのだろうか?
当時は大らかなルールだった。本来中学生は夜20時を過ぎてはいけない規則だったと思うが、ビル掃除などは平気で終了時刻が20時を超えていた。まぁ、そのぶん休憩も多かったことは確かだが…。

ある日、U原のアパートに少年漫画雑誌の隣に少女漫画の雑誌『花とゆめ』が置いてあった

私「あれ少女漫画なんか見るの?」
U原「あー、姉ちゃんのだけど、なんとなく時々パラパラめくってる」
私「ふーん、ウチも姉ちゃんが買ってくるから見てるよ、今は『はみだしっ子』のアンジーが好きだな」
U原「あ、同じだ」

 

はみだしっ子』(はみだしっこ)は三原順の漫画作品。「花とゆめ」誌にて1975年から1981年まで連載された。 ――自分の居場所がなくて家出したボク達は港を探してさまよっている船のよう――。いつのまにか寄り添い、旅をするようになった個性の全く違う4人の仲間、グレアム、アンジー、マックス、サーニン。親に見捨てられた子供達の早すぎる孤独は、彼らをこの世のはみだしっ子にしていた。傷ついた過去を癒してくれる誰かがきっとどこかにいるはず!愛を探すそれぞれの心が今、血の絆を超え固く結ばれる…。【Tubakka評:難解な話】大人が呼んでも考えさせられる考察がふんだんに台詞にちりばめられており、低俗などと言う評価からは最も遠い作品のひとつ。

意外な共通点が見つかった。U原とはこれ以来、時々漫画談義に花が咲いた

そんなある日、U原のアパートでマンガを読んでいた時、初めて自分のコンプレックスを話し始めた

U原「背がなぁ、もう少しあればなって思う」

私「そればっかりはどうにもならないよな?沢山食べてスポーツするとか、牛乳飲むとかさ」
U原「方法はあるよ」
私「えー?どんな?」
U原「ホルモン注射」
私「ホルモン注射?」
U原「医者に成長ホルモンを注射してもらう方法があるんだよ」
私「へぇー、なら俺もやりたいよ」
U原「でも糖尿病になる可能性があるんだ」
私「それじゃ嫌だなー」
U原「そうなんだよなー」

その時、U原はブラックジャツクの単行本を手に取っていた。その巻は成長ホルモンの異常により巨人症になった男の話が掲載されていた

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私の中1の時の担任は数学のS村先生だった。帝大を出て海軍の士官を志したが身長が足りず涙を呑んだ話は以前したとおりだ

ある日、道徳の時間にS村先生は自分の趣味を書いてみろと言った
S村先生は生徒の机の間を縫って歩き、生徒の趣味が書かれたノートを見て歩いた
私はノートに『マンガを読むこと』と書いいていた。すると私のノートを取り上げて…

 

S村先生「マンガを読む事って書いてるヤツがいる、こんなものは趣味に値しない。マンガを描くならいいだろう。でも読むだけなら駄目だ」

 

そう言って私の机にノートを放り投げた

S村先生「書き直せ」
私「ヤです、マンガを読むのが好きです」
S村先生「好きなものを書けとは言っとらん」

そう言うと私を一発ビンタした。私は衝撃でその場に倒れこんだ。ビンタを喰らうとは思っていなかったから踏ん張りがきかなかった

私は立ち上がると食い下がった

 

私「小説が芸術ならマンガも芸術です、立派な趣味だと思います」

 

もう一発ビンタを喰らったが今度は踏ん張って倒れなかった

S村先生「勝手にしろ、だがマンガなんて低俗なものは芸術には入らん、みんな分かったな」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

授業後、U原が話しかけてくれた

U原「俺もそう思う、S村なんもわかってねー」
私「読んだこともねーくせに低俗とか言いやがってムカツク!あいつ絶対『11人いる』読んだら低俗とか言えねーと思う」

 

11人いる!』は、萩尾望都による日本の中篇SF漫画。漫画雑誌『別冊少女コミック』1975年9月号から11月号に連載された。 宇宙大学の入学試験で宇宙船に閉じ込められた受験生たちを描いた密室劇で、SF作品であると同時に、ミステリー、友情、恋愛などの要素も盛り込んだ作者の代表作である。 1976年(1975年度)、第21回小学館漫画賞少年少女部門を受賞。 テレビドラマ化、アニメ映画化、および舞台化されている。
【Tubakka評:気高き一品】約50年も前に作られた作品。少女漫画といえば瞳に星がキラキラの恋愛モノ一辺倒だった時代にSFをブチ込んできた萩尾望都手塚治虫と並び称される希代の天才。ストーリーの深さとその味わいは低俗などとはほど遠い気高き一品。

 

-- マンガは芸術だ --
芸術とはなんだろうか。Wikipediaによると「芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動を表す」とある。

私の解釈は違う「人、または人々が表現、創作、製作するものであって、人の心を揺り動かし、感動させうるもの」だ。

だからスポーツの名場面も私にとっては芸術だ。逆に言うと芸術作品とされる中世の有名画家による肖像画は芸術とは呼びたくない。生活のために金銭と交換に肖像画を描いただけの作品が多く、それは商業作品だ。そこには芸術家としての魂があるとは思えない。

だが、その肖像画が妻や恋人などを書いたなら芸術と呼びたい。芸術とは表現者が持つ技術の絶対値を比較して争うものではないと思うからだ。

どちらの定義にせよ、マンガほど芸術の定義にぴったり当てはまるモノはない。これほど人を感動させうる表現方法が芸術でないなら、もう芸術と呼べる表現方法はどこにもないと言っていいではないか。

 

あれこれとマンガ談義をしていると女生徒2人が話しかけてきた

M子女子「カッコ良かったじゃん、さっきの」
T島女子「あたしもマンガ読むの好き。S村古いよねー」
私「だろ?俺ら少女漫画も読むぜ、『はみだしっ子』とか『つる姫じゃ~っ!』とかよ」

『つる姫じゃ〜っ!』(つるひめじゃ〜っ)は、土田よしこによる日本の漫画作品。また、それを原作としたテレビアニメ。『週刊マーガレット』(集英社)にて、1973年17号から1979年の35号にかけて連載された。型破りなヒロイン、つる姫を主人公にした少女漫画。スラップスティック・ギャグで構成されている。
【Tubakka評:少女漫画界におけるギャグマンガの金字塔】これおもしろかったんだよなー。今でも小学生には絶対ウケると思うよ。よく蒲田の貸本屋で一日50円だったっけな、借りて貪り読んだなー、懐かしい~!

M子女子「えー?『はみだしっ子』も読むの?」
T島女子「あたしグレアムのファン、知的じゃん」
U原「そこはアンジーだろ?やっぱり」
M子女子「サーニンかわいくて好き」
私・U原「えぇーー??ないない」

これをキッカケに4人だけのマンガ同好会が生まれた

 

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マンガ同好会と言ってもそれは4人だけの秘密だ。当時、世間一般には『マンガは低俗なもの』という評価がはびこっており、積極的に同好会と言うのも、はばかられたからだ
同好会はマンガ雑誌が発売されると誰かの家に集まって回し読みを行うことが恒例になった。集まる先としては夜になるまで誰もいないウチか、またはM子の家が多かった

なかでもM子の家に行くときは楽しみがあった。M子の家は中古車販売を営む裕福な家庭でリビングが広く、いつも美味しい紅茶とお菓子がふんだんに用意されていたからだ。(※高1のときM子が自分ちの中古車屋でバイトしないかと誘ってくれたことがある。その話もまたいつか述べたい)

私たちは美味しい紅茶とお菓子を頬張りながらマンガについて熱く語り合った。特に『はみだしっ子』のときは読み終わった後、みんなで感想を言い合ったりした

例えば、こんな話の時があった。はみだしっ子たち4人がある街で子供たちの争いに巻き込まれる。以前はそのようなことはなかったのに、あるキッカケでグループ内に線引きが生まれ抗争に発展していくというストーリーだった

M子女子「これってうちのクラスで言うと不良グループとウチらみたいなモンかな?」
T島女子「かなー?別にモメてはないけどね」
U原「線引きがあるって点ではそうだよな」
私「気軽に話しかけられない空気感はあるよなぁ」

当時はヤンキー全盛の時代だったこともあり、クラス内にはそれ系の子とそうでない子のグループが乱立していた。お互いに無視するほどではないが、積極的に会話が弾むこともない、そんな感じだった

 

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ある日、デパートをぶらぶらして遊んでいた帰り道、U原がポケットから封が開けられていない新品のアリスのカセットテープを取り出した。

アリスは谷村新司(チンペイ/リードボーカル、ギター)堀内孝雄(ベーヤン/ボーカル、ギター) 矢沢透(キンちゃん/ドラム) 1971年に結成したバンド。 1981年に活動休止したが、2009年、活動再開を発表。

私「ん?どうしたのそれ」

U原「盗っちゃった…」

私「えぇ?盗っちゃったの」

 

私はビックリしたが、羨ましくもあった。アリスは当時流行っていてカセットテープは2~3千円もしたため、買うことは出来なかった

 

U原「今度教えてやるよ」

私「うん」

 

私は一瞬ためらいながらも好奇心が勝り誘いに乗ってしまった

数日後、また同じデパートに行き同じ事を繰り返した。一度成功すると味を占め二度三度と繰り返した。そしてとうとう…

 

U原「やばい、何か後ろから人がついてくる、急ごう」

私「うん」

 

階段を駆け下りて1階の出口を出たところで2人同時に手首を掴まれた

 

刑事A「よーし、おとなしくなー。こっちおいで」

刑事B「パトカーに乗ろうか」

 

顔から血の気が引く思いだった。U原も同じだ。私たちは蒲田警察署に連行された。署内のソファに座らされると私は質問された

 

刑事A「君は今まで何回くらい盗ったんだ?正直に言いなさい」

私「はい、3回くらい盗りました」

刑事B「君はどうなの?」

U原「今日が初めてです」

 

『えーっ?なんでそんな嘘つくの?それじゃ俺が万引きのリーダー役みたいじゃんか』

と私は思った。案の定、私が主犯ということで書類を作成されているようだった。私はものすごい裏切りにあった思いがして頭が真っ白になった

 

刑事A「君たちが盗ったものの利益をお店の人が取り返すためには、その10倍の品物を売る必要があるんだぞ、しらないだろ?」

刑事B「どんなに迷惑をかけたのか、わかるか?」

私「知りませんでした。すいませんでした」

U原「ごめんなさい」

 

暫くすると私の姉がやって来た。ソファの前まで来ると思いっ切りビンタを喰らった

 

姉「テメェー、何やらかしてんだ!」

刑事A「まぁまぁ、お姉さん抑えて抑えて。反省してるようだから」

刑事B「では、書類に署名をしてお帰りください」

 

警察署を出ると姉は自転車を押しながら言った

 

姉「お母ちゃんには言えないよ」

私「わかった」

姉「わかったじゃねぇよ!人のもん盗って情けねぇー、欲しいもんは出来るだけ買ってやってるだろーが!バカ!」

 

姉のほうが泣き出した。それを見ていたら私も涙が溢れてきた

 

私「ごめん、もうしない…」

姉「あたりめぇだろ」

 

姉は私の頭をゴツンと叩いた。私たちは黙ったまま家まで歩いた

U原の裏切りとも思えたこの一件から、私は一緒に遊ぶことを躊躇するようになった。U原は同好会にも来なくなり、二人は自然と疎遠になっていった

 

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あれから10数年、私は27~8才になっていた
水川からメールが来て中学時代の同級生が亡くなったから通夜に出席するかの確認だった。(※水川女史のエピソードはこちら)

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その同級生とはそれほど親しい仲だったわけではないが、水川に会いたくて私は行くことにした

お焼香を済ませると水川のグループが外にいた。しばらく話し込んでいると遠くにU原とかつての不良グループがたむろしていた

私は驚愕した

U原が巨漢になっていたからだ。私より頭ひとつ大きくなっており、優に180cm以上はある。体重は100キロ?いや120キロくらいはありそうだった。
そして中学時代は鼻も引っ掛けられなかった不良グループと親しい関係になっているようだった

私は水川に訊いた

私「水川、U原だよなあれ?いつからあんなデカいんだ?」
水川「あー、U原ね、なんか高校行ってから急に伸びたらしいよ、異常に」

信じられなかった。中3まで朝礼で一番前に立っていた男がこんなに大きくなるものなのか?

私「あいつ糖尿病って聞いてない?」
水川「えっ?そこまで知らないよ、なんで?」
私「いや、ちょっと太ったなって思ったからさ」

私はブラックジャツクの話を思い出していた。あいつやったのか?ホルモン注射したのか?どうしても知りたい

私はU原のほうに歩き始めた。

するとU原がすぐに小さく頭を下げた。つられて私も頭を下げた。すると周りにたむろする連中もあたまを小さく下げた

私は歩みを止めた

こっちへ来るなってことか。そういう合図だと感じた。あえて頭を下げることで親近感を打ち消し、距離感を演出して見せた。そう感じた

私はしばし立ち尽くしていた

水川「行こうよ、あっちとは合わないよ、こっちはこっちで飲み行こ。久しぶりじゃーん」
私「お、おぅ行こうか」

【イメージ映像】 昭和の居酒屋(伊勢丹府中店のすぐ前にある『昭和居酒屋 駄駄羅亭』)

焼酎を飲みながらU原のことを考えた

10数年ぶりとはいえ、一時期はあんなに仲がよかったのに赤の他人のような仕草をされて少なからずショックを受けた。私は『はみだしっ子』のことを想い出した

あれはそう…、ある出来事があってから線引きができちゃった話だったよな…

水川「なーにどうしたの?」
私「昔のマンガでさ、『はみだしっ子』って知ってる?」
水川「何それ知らない」
私「だよね」

…と思いつつ、グラスを傾けながら私はU原との想い出を辿った。あんな事があったとはいえ、もう昔のようにマンガ談義も出来なくなったと思うと寂しさが募った。私はみんなに2次会はカラオケにしようと誘い、朝まで熱唱してもう忘れることにした…

 

(…次回、『(第17回)輪廻転生?一期一会のイケメン』に続く)

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(第15話)伝説のナンパ師?蒲田の丸井で踊り食い

大田区蒲田の丸井前

この話は全話の続きだ。詳細はこちら

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簡単に経緯だけいうと私の用心棒役をかって出てくれたY崎先輩の指示でナンパをさせられることになったという話の続きだ

(※前話でもバイトの増員に失敗したが、その後女子大生が張り紙をみてバイトに応募してくる。その話はまたいつか…)

 

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次の土曜日。バイト終了時刻の20時になると店じまいを早めに切り上げた。この時点で20時半。

私「蒲田の丸井前ってナンパできるもんなんスか?」
Y崎先輩「その辺は俺のダチに訊いてくれ。ナンパ師だから」
私「ナンパ師?」

Y崎先輩のハコスカで蒲田の西口入ると先輩のダチはすでに待機していた。ローレルのシャコ短、オーバーフェンダーに車内にはロールバーが張ってあった。やっぱり類友だなと思った

Y崎先輩のダチは永ちゃんのふりをしたリーゼントの男と倍返しドラマの近藤役、滝藤賢一のようなパーマ頭の男だった。こちらを滝藤と呼ぶことにする

二人がこちらに来た

滝藤「じゃ、俺行ってくっけど。一緒にやるのそっちの子?」
Y崎先輩「おぅ、バイトの後輩だからよろしく」
私「よろしくお願いします」

Y崎先輩が私の顔を見た

Y崎先輩「早く行って来いよ」
私「え?」
Y崎先輩「師匠に教わって来いよ、ナンパ!」

そう言うとハコスカから追い出されてしまった。私は滝藤さんに訊いた

私「ナンパとかしたことなくてコツとかあるんスか?」
滝藤「コツはな、100回声掛けやること」
私「100回も?」
滝藤「そうだ。あとはな、声かけても眼そらして足早に逃げる子は即ヤメ、無駄だから」
私「はぁー」
滝藤「それから声かけて失敗したら30秒待つこと」
私「なんで待つんスか?」
滝藤「30秒経つと人が入れ替わる。そうしないと俺らがあっちこっち声掛けてる姿みられてっから逃げられる」
私「なるほどー。他にもあるんスか?」
滝藤「当たって砕けろ」
私「ですねー。とりあえず何て声かければいいんスか?」
滝藤「何でもいいけど今日なら2人連れ探して『海行こう』でいいよ」
私「『海行こう』ですかー」
滝藤「レクチャー終わり、GO!」

しばらく私は滝藤さんのあとをついて回った。声を掛けてもほとんどの場合、無視されるか軽蔑のまなざしを向けられて終わる。私はとてもこんなこと出来ないなーと思った

滝藤「もういいだろ?お前はアッチで」

…と、蒲田駅西口の階段下を指された

私「いやー、厳しいっス、とても自信ないッス」
滝藤「自信ないのがフツーだ、行け!」

シッシッと手を振られてしまった。仕方なく階段下まで歩いていると私を見つめるY崎先輩と眼があった。行け、行けと2人連れの女性を指差した

私は出来ませんとは言えねーなと思った。Y崎先輩は先日、バットを持った3人組のヤツらから私を守ってくれた。今回はそのお礼なのだから『出来ません』とはとても言えなかった

私は思った『ま、いいか。玉砕してもとりあえず頑張ったことは認めてくれるだろ』と開き直ることにした。思い切ってY崎先輩ご指名の2人連れに声を掛けた

 

私「あの、すいません…海…」

 

片方の女性がキッと睨みつけて軽蔑のまなざしで足早に去って行った

私は『心折れるなー、これ…』と思い、そっとY崎先輩を見た。また、次の2人連れを指差している。『うわ勘弁して』と思いつつも『やめられないよなー』と思い直す。これを繰り返すこと、私のチャレンジは50回を超えてたと思う

夜23時過ぎ。私はそろそろ終電が近いからとY崎先輩に腕時計を指差した。Y崎先輩は顔の前で手を横に振り『関係ねぇぜ』と合図した。『うわぁーエンドレスじゃーん』と思いつつ私は西口商店街から歩いてくるOL風の2人連れを見つけた。『とりあえず行っとくか』くらいの気持ちで声を掛けた

私「あの、すいません、海行きません?」
女性A「海?この時間に?電車ないじゃん」
私「いや車なんですよ、ほらあれ」

私はハコスカを指差した

女性B「えー?あれってさ暴走族がのってるヤツじゃないの?」
女性A「あー、たまにTVでやってるよね。あぶなっ!」

女性二人は酒をのんだ帰りのようで少し酔っている様子だつた

私「あぶなくないですよ、あれなんちゃって族仕様なんで本物じゃないですよ」
女性B「えー?そうなのー?」
女性A「でも乗ってる人怖そー」

Y崎先輩のことだった

私「あの人もなんちゃって族仕様なんで本物じゃないですよ」
女性B「えー?そうなのー?」
女性A「でもいいよー、海行ってもやることないし。帰ろ」
私「海だけじゃないですよ、一緒に訊きましょうよ」

私はなかば強引にハコスカに連れて行った

私「海だけじゃないって今説明してたんでけど、今日は他にどこ行きます?」

私は海に行くことしか聞いてなかったが、玉砕覚悟でY崎先輩に訊いてみた

Y崎先輩「おー、銭洗弁財天行って金持ちになる予定だぜ!」

知らなかった。そうなの?と思った矢先、彼女たちが食いついてきた

女性A「えー、何?お金持ちになれるのー?」
女性B「銭洗弁財天てなに?」

Y崎先輩が説明した。銭洗弁財天は鎌倉にある由緒正しい神社だよ、ここの湧き水でお金を洗うとお金が増えると言う言い伝えがある金運スポットだよ

 

銭洗弁財天宇賀福神社は、神奈川県鎌倉市佐助にある神社である。境内洞窟にある清水で硬貨などを洗うと増えると伝えられていることから、銭洗弁天の名で知られている。 文治元年、源頼朝への宇賀福神の夢のお告げを元に、宇賀福神を祀り神仏の供養を行なったのが創建の由来という伝説がある。

この説明が彼女たちに刺さった。だが強い疑念は残ったままだ

女性A「でも変なとこ連れてく気でしょー?」
女性B「Hならしないよ」
Y崎先輩「大丈夫だぜー、そんな心配ならホラッ、これ書いとけばいいぜ」

Y崎先輩は免許証を取り出すと紙とボールペンとを一緒に渡した

Y崎先輩「俺らがなんかしたら、警察行っていいぜ。…って言うかそんなことしねーって」

彼女たちは顔を見合わせた。どうやら行く気に傾いたようだ

女性A「ほんとに書くよ?いいの?」
Y崎先輩「もち、いいぜ」

女性Aは紙になにやら書き写すと免許証を返した

Y崎先輩「俺、Y崎。こいつバイト先の後輩の高校生」
私「よろしくです」
女性A「ヨーコです」
女性B「チエです」

正直、ヨーコさんは覚えているがチエさんのほうはチエだったか、ミエだったか良く覚えていない。とりあえずチエとしておく。姓はもともと聞いていないから知らない。

私の初めてのナンパは成功し、私は感激した。逆に滝藤さんのほうが苦戦していたが、それから30分ほどして話はまとまったようだった。すでにテッペン(0時)を過ぎたころだったかと思う

かくして2台の車は最初の目的地、銭洗弁財天を目指してスタートした

ヨーコ「なんかドタドタしない?この車」
私「すいません、サスペンションって言う車の部品で硬いのを入れてて乗り心地が今ひとつなんですよね」
チエ「おもしろいけど、お腹に響くねー」
Y崎先輩「俺的に硬派な車なんだぜ」

みんな意味が分からなかった

 

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秋口の夜中なのに鎌倉までの16号は混んでいた。銭洗弁財天についたのは夜中の2時を回っていたはずだ

Y崎先輩「ついたぜ」

静寂の闇に包まれた銭洗弁財天はひんやりとした空気が厳かな雰囲気があった

総勢8人連れの真夜中の訪問者は、それぞれ財布を取り出してお金を用意した。私が小銭を用意するとY崎先輩が言った

Y崎先輩「小銭じゃ儲かる金も小銭だぜ」
私「え?そうなんですか?」

見るとみんなお札に切り替えていたのが可笑しかった

私たちは次の目的地の湘南の海に向かった

 

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ヨーコ「トイレ行きたい」

私たちは近くのコンビニの駐車場に車を止めた。後部座席を開けてヨーコが出ようとした時…。

 

チエ「ヨーコ待って!」

 

私とY崎先輩は振り向いた。見るとヨーコさんの白いスカートのお尻あたりが真っ赤に染まっていた

ヨーコ「あぁっ、やだっ」

Y崎先輩は私に車から出ろと言ってトランクを開けた。赤いジャージを取り出すと急いで自分のジーンズを脱いで穿きかえた

Y崎先輩「俺の汚いけど我慢しろよ、これしかねーぜ。車ん中で着替えてスカートはこれに入れとくといーぜ」

自分のジーンズとトランクにあったトートバッグにビニール袋を入れてヨーコさんに渡した

ヨーコ「…ありがとう」

ヨーコさんは突然女の子の日がきたようだった。それにしても着替えなんか当然持っていない状況ですごい機転だなと思った

着替え中のハコスカはフロントガラス以外は黒いスモークガラスになっていて中が見えない。私たちはリヤのほうに移動して暫し待った

私「良く思いつきましたね」
Y崎先輩「ん?モテる男は機転が利くもんだぜ」
私「恐れ入りました…」

ガハハと笑おうとして制止された

Y崎先輩「自分が笑われたと勘違いするぜ」
私「ですね…すいません」

着替え終わると二人は車から降りた

ヨーコ「ありがとう、助かった」
Y崎先輩「トイレ行ってこいよ」
ヨーコ「うん」
チエ「行こ」

私「ヨーコさん、沈んじゃいましたねぇ…。ハコスカのサスが硬すぎたのが原因なんじゃないスか?」
Y崎先輩「かもしんねぇな…。」
私「だとしたら責任ありますね?」
Y崎先輩「あぁでもよ、元気が出る秘策ならあるぜ」
私「なんスかそれ?」

 

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砂浜近くの海岸通りに2台の車を止めるとトランクを開けてバケツを取り出した

私「秘策って花火かー」

大量の花火セットを解くとライターで着火。夜空に舞い上げた。派手な音がコダマする。ヨーコさんに少し笑顔がこぼれた

Y崎先輩「ほら」

線香花火をヨーコさんとチエさんに渡してライターで火を着けた。チラチラと小さな火の玉が飛び交うとヨーコさんの笑顔が戻った

ヨーコ「最初から言ってよ、花火やるならさぁ」
Y崎先輩「サプライズってもんだぜ」
チエ「うわぁー、似合わなーい」

4人でゲラゲラと笑うことが出来た

ローレル組のほうを観ると、ひと際大きな花火が上がった。大きな破裂音とともに歓声があがった。どうやらローレル組も仲良くなれたようだった

 

夜明けが近くなった頃、それぞれ車に戻って座席で少し休んだ

すっかり陽が上がって少し熱くなった頃、滝藤さんがコンコンと窓ガラスを叩いた

 

滝藤「民宿の部屋ひとつ借りれたから、そっちで休もう」

 

8畳間でザコ寝した。みんな疲れ切っていたからあっという間に昼になった

 

民宿のおばちゃん「なんも喰ってねーんだって?にぎりめし作ったから喰ってけ」

 

にぎりめしと味噌汁で生き返ったところで帰宅の途についた。蒲田の西口で解散になった

 

ヨーコ「いろいろありがとう。借りたモノ返すね、京急川崎のガード下のレストランね?覚えたから」

私「お疲れ様でした」

Y崎先輩「おー、またな」

チエ「じゃ、またいつかねー」

 

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それから暫くたったある日、レストランでバイトしているとドアの鐘がガランと鳴った。ヨーコさんだった

私たちを見ると彼女はニコッと笑った

Y崎先輩「お好きな席にどうぞ」
ヨーコ「じゃ、ココにする」

そこは私たちホール係が常駐して待つ、サイドテーブルのまん前の席だ

Y崎先輩「ご注文は?」
ヨーコ「ホットミルクティーで」
Y崎先輩「かしこまりました」

ホットミルクティーやコーヒーはホール係が淹れる担当だ。ここは当然、Y崎先輩が淹れた。ヨーコさんはずっと視線でその様子を追っていた

Y崎先輩「お待ちどおさま」
ヨーコ「…うん、美味しいよ」

ティーカップを置くと彼女はトートバッグを取り出した

ヨーコ「このあいだのトートバッグ返すね」
Y崎先輩「あぁ、捨てていいのに」
ヨーコ「でも、ジーンズはさ、ちょっと汚れたから返せないからさ」
Y崎先輩「それも捨てていんだぜ」
ヨーコ「悪いよ、1万円払うよ、今日はそれで来た」

彼女はテーブルに封筒を置いた

Y崎先輩「そんなもん要らねーぜ」
ヨーコ「気持ちだよ、受け取ってよ」
Y崎先輩「断る」

押し問答が暫く続いた。私は割り込んで言った

私「ヨーコさん、こうなると受け取らないですよ、先輩。その代わりデートしてあげてくださいよ、それで終わりにしましょう」

2人が私を凝視した。私は2人があっている気がしていたので畳み込んだ

私「ダメですか?ヨーコさん」
ヨーコ「それで気が済むなら別にいいけど…」
私「いいスか?先輩」
Y崎先輩「お前よぉー、でもまぁ、そっちがいいならいいぜ…」
私「はい決まりーっ!連絡先交換ターイム!」

2人は連絡先を交換した。すると彼女がおもむろにこう言った

ヨーコ「でもさ、あの車で行くんだったらさ、安全日に出かけないとねっ!」

私とY崎先輩はふっと笑った。彼女もニコッと笑った。私は思った。自分の恥ずかしい思い出をこんな風に笑いに変えるヨーコさんって素敵だなと。

 

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マネージャー「俺もうすぐ出かけるから、お前ら先に飯くっちゃえよ」

 

バイトのまかないはカレーライスとか、ハンバーグと目玉焼きとか簡単なものだったが、コックの腕はなかなかで素晴らしく美味しかったことを覚えている

Y崎先輩「もしかしてよ、お前ナンパの才能あるんじゃねーか?伝説のナンパ師になれんじゃねー?滝藤も言ってたぜ、初回からヒットするのはなかなかないってよ」
私「いやーたまたまですよー、そんなお世辞言っても、もう二度とやらないっスよ」
Y崎先輩「なんだよー、惜しいぜ。お前なら入れ食いだぜ」

私「いや、いいとこ躍り食いっスよ。…ところで先輩、ヨーコさん、もうそういう仲っスか?」

Y崎先輩「訊くなよー、まだだぜ。」

私「いやーホントっスか~?」

 

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ある日の土曜日。私は中学の時、テニス部でペアを組んでいたN坂を誘って蒲田駅西口にいた。たまたまですよと言ってはみたものの、少しその気になった私はナンパを始めた。

N坂「ホントかよー、ひっかかるのかー」
私「このあいだは上手くいったんだよ」

声を掛けること10数組、綺麗めなお姉さんが向こうから2人来た

私「あ、すいません、一緒に飲みませんか?」

顔を見合わせる2人のOL風お姉さん。見ると5つ6つ年上に思えた

美人さんA「そうねぇー、付き合っちゃおうかなぁー」
美人さんB「こっちも飲み屋さんに行くとこだから、じゃ一緒するぅー?」

よしっ!やっぱり才能あるじゃん、オレ。N坂がきょとんとしている

美人さんA「じゃさ、行こうと思ってた店でいい?」
私「えぇ、いいですよ」

西口の商店街をだいぶ進むとその店はあった。ただの居酒屋だとばかり思っていた私は少し面食らった。スナックだったからだ

 

【イメージ画像】スナックのカウンターで働く二人の女性

私たちが店に入るとカウンターに彼女たちが入って行った

私「えっ?」

美人さんA「いらっしゃーい!何にする?ボク」

 

私とN坂「コーラお願いします!」

 

--この後どうなったか --
実はこのあとはコーラで終わるはずもなく、結構飲まされるハメになった。ひとり3千円づつくらいかな、払って帰宅したが、働くようになってそのスナックに行ってみると、あれ相当安くしてくれてたんだと。学生料金だったね。お姉さんたちも相当飲んでたから本当はこっちがその分持つわけだけど、たぶん付けてなかったね、学生だからと。でも、そのときの姉さんたちとの会話も下ネタばっかでおもしろかったんだよなー。ま、またいつかその件も書こうかな。
 

(…次回『(第16話)万引き指南?姉のビンタにすすり泣き』に続く)

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(第14話)用心棒?逃げ足だけはスコぶる早い

高校3年の秋から卒業まで、私はレストラン・ポルカでバイトをしていた。そのときに出会ったY崎先輩との顛末はすでに語った(※詳しくはこちらを参照して欲しい)

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だが、レストラン・ポルカでの半年間は筆舌に尽くしがたいほど様々なエピソードがある。今回はそのひとつを取り上げたいと思う

 

『男泣き?Y崎先輩』でバイトの人数を増やそうと新人を入れたが、初日のあまりのハードな混雑ぶりに次の日から来なくなってしまったと書いたが、実はこれには続きがある

 

私は不足するバイトを増やそうと(なんせホール係は私とY崎先輩しかいないからだ)中学時代の同級生に声をかけた。どことなく俳優の『國村隼』に似ているので仮に國村と呼ぶことにする

俳優『國村隼』

俳優『國村隼

國村とは同じクラスになったことはないが、家が非常に近く会話することも多かった。進学先は別々だったが高校1年になると、彼は母親にねだってホンダの CB400 FOUR を買って貰った

私はバイクの後ろに跨がって、横浜の本牧埠頭(ほんもくふとう)や首都高1週ツーリングと称してあちこち連れてって貰ったことも良くあった

私はバイトに國村を誘ってみることにした

 

私「な、バイトやんねぇ?バイクの借金、まだ残ってんだろ?」

國村「まーなぁ、ババァに毎月少しずつ返せってせっつかれてるけど」

 

バイクを母親に買って貰ったとは言え、あくまで借金だったのだ。川崎なら近いしバイクで通勤なら飛ばせば15分程度でこれるからと、國村は承諾した(蒲田と川崎は多摩川を挟んだ隣街でバイクで飛ばすと一瞬で着く)

 

ホンダ『CB400 FOUR』

ホンダ『CB400 FOUR』

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私「紹介します、國村です」

國村「よろしくお願いします」

マネージャー「おぅ、よろしく頼むぞ」

Y崎先輩「よろしく」

 

國村にはY崎先輩はヤンキースタイルだけど、いい人で優しいからすぐに慣れるよと事前に言い含めておいた。だが、実際に会ってみた感想はというと…

 

國村(小声)「あんなゴツくて金髪パンチって聞いてねーよっ」

(※パンチ≓パンチパーマ)

私「ダイジョブ、ダイジョブ3日で慣れるよ」

 

普段は暇なんだよ、客がひとりも来ない日もま、ま、あるよ。だけどお菓子工場とか近くの会社から宴会が定期的に入るから、その日は激忙しいよ、などを教えた

特段、難しい作業があるわけではないことから仕事は順調に覚えて貰った。でも、三角ナプキンの折り方には苦戦していたようだ。これはコツを掴むまでは失敗しやすい

 

Y崎さん「國村、お前何枚無駄にする気だ?」

國村「あっ、すいません、難しいです」

 

Y崎さん「ウっソ、ピョーン!」

 

私「もー、止めてくださいよビビらすの!」

國村「??」

Y崎さん「いーじゃんかよ、仲良くなる儀式みたいなもんだぜー?」

私「これ沢山あるから失敗とか気にしないでいいから!」

Y崎さん「ま、そういうことだ、ゆっくり覚えればいんだぜ」

國村「…わかりました」

 

それから二週間くらい何事もなく順調にバイト生活は続いた

 

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そして超多忙となるあの日がやって来た。大規模宴会だ

そもそも何でこの店が宴会に選ばれるかというと、その広さにある。座席数は追加すると60席近くあったと思う。要は一度にそんなに入れる宴会場としては、ココ以外はホテルなどになってしまう。だが、ホテルだと高額になってしまう。それでココが選ばれると言うことだ

このレストランはハッキリ言って宴会だけで成り立っていたと言っていい

【イメージ映像】広島県三次プラザの「レストランV」当ブログとは関係なし

マネージャー「60人席用意だ」

 

今日は18時からの宴会。私と國村は16時入りだったと思う。宴席を作り替えてテーブルクロス張り直す。三角ナプキン、塩、胡椒などの調味料の瓶を掃除して各テーブルに配置する。大量の赤玉パンチワインをバケツに入れて氷で冷やす。厨房は60人分の料理を作り始める。できあがった順にキレイに盛り付けられた宴会用プレートをテーブルに配置していく。

 

そして18時。宴会客が来た。Y崎さんが生を作り始めた

 

私「國村、生、奥の席から持ってって」

國村「おぉ」

 

60人分の生と赤玉ワインを運ぶだけでもヘトヘトになる。案の定、國村はこのへんで疲れが見えてきた。宴会が進むと生の追加と日本酒の注文も入ってきた

 

私「生、俺やっとくから酒お願い」

國村「おぉ」

 

追加注文が一段落すると空いた皿を厨房に運ぶ。なるべく早くしないと皿洗いのおばさんが残業になってしまう

 

國村「ケッコーきついじゃんか」

私「でも宴会だけだから、ふだん楽だろ?」

 

こうしてこの日の宴会は終わった

 

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マネージャー「あさって宴会はいったぞ、60席用意だ」

 

あー、また入ったんだと思ったが國村は『えーまた?』と言った。私は笑って『たまには続くことあっから』と言った

 

そして次の宴会から國村は来なくなった

 

Y崎さん「こないだの新人と言い、國村といい、みんなバッくれんのスキだぜ」

私「すいません、こんなヤツじゃないんだけど…」

Y崎さん「まー辞めるのはいいけどよ、制服洗いに持ってったろ?返させねーと」

私「わかりました、帰りに寄ってみます」

 

その日のバイト帰りに國村の家に寄った

 

國村母「あー、こんばんわ久しぶりねー、あの子でしょ?いないのよ」

私「何時頃帰ってきますか?」

國村母「もう2~3日ずっと帰ってこないの。多分ね、あの暴走族みたいな?友だちのとこに入り浸ってんのよ」

私「そうですか。あとバイトの制服ありませんか?辞めるなら返さないと」

國村母「知らないわ、制服なんて」

私「そうですか、わかりました」

國村母「もし見つけたら早く帰るように言っといてよ」

 

これはまずいと思った。『あの暴走族みたいな?』と言ったが族ではない。なんといえばいいか、それ以下というか、今で言う半グレっぽいやつらのことだった。族ならまだいい、話にスジをとおせばわかってくれるヤツも多い。だが、こいつらはダメだ

まずいぞ、まずいぞ、まずいぞ、まずいぞ。

 

私は困りに困った。なんせ私はヘイポーだからだ!

 

痛いのキライ、暗いのキライ、お化けキライだ。ケンカなどもってのほかだ

世界のヘイポー】斉藤 敏豪(さいとう としひで、1954年11月16日)は、日本のテレビ演出家。東京都品川区出身。『ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』内での通称はヘイポー。大変なビビリで有名

私はY崎先輩に相談するしかなかった

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私「…ってわけで、手に負えないヤツらのとこにいるみたいで」

Y崎先輩「ふーん」

私「あの…もし、良かったら一緒に行ってくれないスか?」

Y崎先輩「あっ?俺が?」

私「お願いしますよ、制服も家にないってお母さんに言われたし…」

Y崎先輩「…めんどくせーぜ」

私「そー言わずに!」

Y崎先輩「しょうがねぇか、貸しだぜ?」

私「ありがとうございます」

 

その日の夜、バイト帰りにヤツらのアジトに向かった。Y崎先輩は車をだすから乗ってけという。車はソフトタッチな族車仕様のハコスカだった

【イメージ映像】『ハコスカ』ハの字をきった後輪。オーバーフェンダーに車内はロールバー仕様だった

私「ものすごいゴツゴツ走るんスね」

Y崎先輩「サスめっちゃ硬いのいれてんからしょうがないぜ」

(※サス≓サスペンション)

 

目的地は大田区のマンションの一室だった。20分くらいで着いたと思う

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

マンションの横に車を止めた

 

Y崎先輩「まずは自分で行ってこい、俺がイキナリ行くと驚くだろ」

私「…ですね、ちょっとドキドキですけど。行ってきます」

Y崎先輩「なんかあったらココに戻ってくればいいぜ」

 

私は目的の部屋に着いた。部屋のベルを押した。

 

男A「どなたー?」

私「自分XXと言います。すいませんが、こちらに國村お邪魔してませんか?」

男A「あー?なんだぁ?」

 

ドアがガチャッと空いた。部屋の奥に國村がいた

私「おー、國村ちょっと話が」

と言いかけたところで出てきた男に胸をドンと小突かれた

男A「國村になんの用だテメェー」
男B「ちょっと来い」

そう言うと男Bはバットを持って近づいてきた。私は慌てて逃げだした。エレベーターは待っていられない。階段を駆け降りた。男たちは追ってきた。男Cも追いかけて来た。私はバットを片手に持った3人の男に追いかけられると、ハコスカに一直線に走った。この時の様子をY崎先輩は後にこう語っている

Y崎先輩「お前、カールルイスより早かったぜ」

どうにかハコスカまでたどり着いた私は息を切らして言った

私「ダメです、いきなり胸ぐら、ど突かれました」

Y崎先輩がハコスカから降りると追いかけてきた3人はバットをゆっくり下した

 

Y崎先輩「野球やるならよー、ひとりじゃ足りねーぜ、俺も入るぜ…」

Y崎先輩「文句ねーよなぁーーーーーっ!」

 

この怒鳴り声で私は固まってしまった

見ると追いかけて来た3人も固まっていた。浅草寺の仁王像のような憤怒の表情に気圧(けお)されたのだ。蛇に睨まれた蛙のように。もっというと黒龍波をまとった飛影に『俺と戦るのか?』と訊かれたザコ敵のように。

飛影(ひえい)は、冨樫義博の漫画『幽☆遊☆白書』およびそれを原作としたアニメや映画に登場する人物。黒龍波とは、飛影の必殺技にして邪王炎殺拳の最大・最強奥義。 自らの妖気を餌に魔界の炎の黒龍を召喚し、放つことで相手を焼き尽くす技。幽遊白書は1990年から週刊少年ジャンプで連載された。今回のお話よりずっと後の作品。

 

男A「…いえ、別に…野球はしません」

Y崎先輩「俺も野球しに来たんじゃねーぜ。このなかでアタマは誰だ?」
(※アタマ≒リーダー)

3人は互いに顔を見回した

男B「…一応、自分ですね」
Y崎先輩「俺ら國村のバイト仲間でよ、話しに来ただけだぜ。いいよな?」
男B「えぇ、別に…」

遠くで様子を伺う國村を見つけるとY崎先輩は手招きした。國村は近くまで来るとペコッと頭を下げた

Y崎先輩「バイト辞めんのかよ?」
國村「…はい、そうしようかなと」
Y崎先輩「電話ぐらいできねーのかよ、世の中ジョーシキだぜ」
國村「すいませんでした」
Y崎先輩「わかった。マネージャーには明日電話しろ、それから制服洗って早く返せ、いいな?」
國村「はい。わかりました、すぐに」

 

Y崎先輩「帰るぜ」

 

車に乗り込んで走り出すと私は感謝を伝えた

私「ありがとうございました。先輩がいなかったらボコボコにされてました」
Y崎先輩「あ~、危なかったぜ、3人もいやがってビビッたぜ」

Y崎先輩はゲラゲラ笑った


私は『絶対ウソだ』と思った

ビビッてたのはヤツらの方だ。もしも相手が向かって来たら気絶するまでヤツらをボコボコにしていただろう。あのオーラは修羅場をくぐり抜けた者だけが持つ、禍々しい殺気をまとっていたからだ

 

Y崎先輩「じゃ、借りを返してもらおうかな~??」
私「あっはい、バイト代がはいったら払います。いくらですか?」
Y崎先輩「可愛い後輩からカツアゲみたいな事できねーぜ」
私「え?じゃ何を??」
Y崎先輩「今度の土曜にダチと湘南に行くから女用意しろ」
私「え?無理っスよ、そんな女いませんよ」
Y崎先輩「じゃよ、蒲田の丸井前でナンパしてこい」
私「えーーー?ナンパーーー??」

それなら金払ったほうがいいよーと私はこの時思ったのだった…。

 

(…次回『(第15話)伝説のナンパ師?蒲田の丸井で踊り食い』に続く)

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(第13話)忘れなきゃダメ?As Time Goes By

映画『カサブランカ』ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン

映画『カサブランカハンフリー・ボガートイングリッド・バーグマン

今日はベンガルとの思い出を綴ろう。

ベンガルは高校の時、私に彼女を紹介してくれた友人だ。詳しくはこちらを参照されたい

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中2の梅雨頃、登校してすぐに腹痛が酷くなり保健室に駆け込んだ

ベッドを借りて休ませて貰ったが、保健室の先生は30分経っても治りそうもないと思ったのか、すぐ近くの病院に行きなさいと命じた

私は言われるがまま病院に着くと医者の診察を受けた

 

医者「いつから痛いんだい?」

私「今日の朝からです」

医者「時々こんな風に痛くなることあるかい?」

私「小学生のときから時々」

 

医者はふーんというと私の右下腹部を手で押さえた。激痛が走った私は『痛ーいっ』と悶絶した

 

医者「盲腸だなー」

私「え?」

医者「ずいぶん酷そうだ、早いほうがいいか」

 

医者は親に連絡するように看護婦に言うと、私はあっという間に3階のベッドにつれてかれて手術着に着替えさせられた。男性用の空きベッドがなく、私は女性用のベットに寝かされた。その部屋は女生と言っても老人ばかりだったため、特に気にする患者はいなかったようだった

(※当時は看護婦と言った。最近は看護師)

 

看護婦「おウチ誰も電話出ないねー?いつもお留守?」

私「仕事だと思います」

 

困ったなーという表情をしたかと思うと、この20代前半らしき、愛らしい看護婦は恐ろしいことを私に告げた

 

看護婦「そうねー、連絡つかないけど午後すぐ手術になるからね」

私「えーー?」

 

当時はいい加減だよなーと思う。親に連絡ついてないし、保険証も持ってきてないのにイキナリ手術するとか、今ではありえないでしょう?

のちにお袋はスゲーおこったからね、この医者に詰め寄ってた、何してくれてんだと。だけど、この医者の見たては正しく、私の症状は一刻をあらそう状態だったと。開けてみたら盲腸はバクハツ寸前だったということだ

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私の腹痛は相変わらず治まらない。

 

隣の婆さん「どこがわるいんだい?」

私「盲腸らしいです」

隣の婆さん「そうかい、早く治るといいね」

 

まもなく、カチャカチャと金属音を鳴らしながら看護婦がトレーを押してきた

絆創膏を持つ看護師

絆創膏を持つ看護師

看護婦「じゃ、剃るからねー、ちょっと下ろすねー」

私「え?」

 

おもむろに私の手術着の前をはだけるとパンツを少し下にずらした。もちろん、ソレが見えない程度にずらしただけだが、とても恥ずかしかった

 

看護婦「ちょっと我慢してねー」

 

中2とはいえ、もうすでに下の毛はそれなりに生えそろっていた。悪友達とのエロ談義を思い出した。目の前で愛らしい看護婦が真剣な眼差しで毛を剃ってくれている

私はその妄想を『ヤメロ、ヤメロ』と封じ込めていた

 

看護婦「もうすぐ終わるからねー」

 

そのとき…、看護婦の手の甲が私のソレに少しあたったかと思うと、封じていた結界が解き放たれた…。私のソレは腹痛にも勝ったようだ

 

看護婦「あらあら、ごめんねー、ちょっとあたっちゃったかなー」

 

隣の婆さん「元気なトコあって良かったじゃないか、ガハハ…」

 

私はこの時、『ババア早く死んじゃえ』と思った…

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

手術から2日くらい経った日の放課後、悪友達がお見舞いに来てくれた。そのなかにベンガルもいた。私はうるさくなると思い病室を出てみんなを屋上に誘った

 

ベンガル「松葉杖ってまだ必要なのか?」

私「まだ腹いてーからないとキツい」

 

みんなふーんと言った。私は体調を気遣ってくれたのかと思ったが、ヤツらは私がまだ腹が痛いことを確認しただけだった…

 

ベンガル「そういえばよ、Y尋ってテニス部の顧問やってるよな」

私「あぁ」

悪友A「あいつ女子のスコート下から覗いてるらしいぜ」

私「うっそー?」

ベンガル「マジって噂だぞ、下から見えるようにベンチに横になって指導してるってもっぱらだぞ」

私「…うぅ、ヤメロ腹いてーからヤメロ笑かすな」

悪友B「いやマジマジ、女子がよボール拾うときだけ、頭ピコッて下げるんだってよ」

私「テメェー…ふざけんなよっ、腹いてー、フカシこきにきてんじゃねーよ、何がピコだよ、わざとだろ!いてー」

 

ギャハハと一斉に笑いが起きたが、私の腹の痛みはもう限界に近かった。私はこの話を断ち切ろうと看護婦に毛を剃られた時の話を始めてしまった…

 

これは大失敗だった…

 

ベンガル「マジかよいいなー、もうその思い出だけでヌケるじゃんよー」

私「ヌケるかっ!…うぅ、ヤメロ腹いてーからヤメロ笑かすな、もういい帰れ」

 

すでに私の腹は限界突破の痛みだった。もうココに来ないでくれと懇願して帰って貰うのが精一杯だった

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私は一週間後に退院した

まだ激しい運動は出来ないが、放課後テニス部の様子を見に行った。

テニスに興じる女子中学生

テニスに興じる女子生徒

テニス部員のH野女子が話しかけた来た

 

H野女子「ねぇ、聞いた?Y尋の件」

私「えっ?何」

H野女子「1年の女子が騒いでんだよね、スコート覗くって」

私「マジだったのそれ?チラッとは聞いたけどさ」

 

H野女子「噂なんだけどさー、寝そべりながら指示だしてさー、ボール拾った女子が振り返ったらY尋と眼があったってー」

私「たまたまじゃなくてー?」

H野女子「でも3人くらい言ってきてるからさー」

私「そうなの?うーん、じゃさ部長と掛け合おうよ」

 

私は部長に秘策をだした。ボール拾いの女子はスコートじゃなくてジャージで良いこととする案だ。だいたいウェアは試合で着るのが本来だし、ボール拾いで汚れるのは良くないという理屈で通そうよと言った。部長もいいねといい、Y尋にみんなでかけあった

 

Y尋「ボール拾いでも試合に臨む気持ちでウェアは着るべきじゃないか?」

H野女子「でも、洗濯の回数が増えてヘタっていくし、家庭の事情でたくさんウェア買えない子もいるしで許してあげてください」

部長「練習で着るモノは少なくとも本人の自由にしてあげてください」

Y尋「…。…じゃ、スキにしろ」

 

こうしてジャージで球拾いをする女子が増えていき、ウェアの子はいなくなった。気がついてみると寝そべって指示を出すY尋の姿も同時に見かけなくなった…

 

H野女子「やっぱりそうだったってこと?」

私「たまたまだと信じたいなー」

H野女子「そういえばさ、ベンガルが入院中に看護婦といいことあったって言ってたけど何があったのー?」

私「ねぇよそんなの、あるわけねーだろ?あのヤロー、あることねぇこと吹き込みやがってぇー」

 

ベンガルはあちこちに入院中の話を吹き込んで歩いていた

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

一週間も過ぎた頃、私は手術痕の抜糸に病院に行った。隣の婆さん、どうしてんのかなとちょっと覗いたがいない

 

私「あのー、婆さんて退院しちゃいました?」

看護婦「あぁ、あ隣にいたお婆さんね?お亡くなりになられたのよ」

 

私は少なからずショックを受けた。

つい一週間前まで軽口を叩いていたのに、あっという間に人って亡くなるんだと。私は『早く死んじゃえ』と思ったことを思い出し、胸の奥がずんと重くなるのを感じた

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

それから数年後、高校は別々になったが彼女を紹介してもらった関係で、ベンガルとはよくダブルデートをしたものだ。伊豆の海に4人で出かけたり、渋谷や六本木のディスコに行ったり、映画も良く観に行ったものだ

 

ベンガルスターウォーズも好きだけど、古いのもいいぜ。カサブランカとかスキだ」

私「おっ粋なの観るじゃん。あの台詞がいいんだよな」

ベンガル「あれな!」

 

私たちは同じ場面を思い描いていたが、彼女達は知らないようだった…。

 

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社会人になって数年が経ち、私のお嬢のキズが癒えかけたころだった。

(※お嬢とのエピソードはこちら)

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私は仕事が夜勤ばかりだったし、土日とか関係ないシフト勤務だったこと、アパートに電話がなかったことから、しばらくベンガルとは疎遠だった

 

そのベンガルが突然アパートに彼女を連れてきて飲もうと言ってきた。居酒屋に着くといきなり、こう切り出した

 

ベンガル「俺ら、結婚することになった」

彼女「初めまして、よろしくお願いします」

 

いるとは聞いてはいたが、彼女とは始めて会った

彼女はキレイだった。今で言うとそうだな、乃木坂の斉藤飛鳥にちょっと似ていたと記憶している

 

私「こちらこそ、どうも。え?何、突然、ずいぶん急なんじゃないの?」

ベンガル「おぉ、急に決めた」

私「マジかよ、スゲーな!お祝いだな、今日は俺の奢りな」

 

ベンガ「ワリカンでいいよ、貧乏人!」

私「言い方!ね、こいつ口わるいでしょ?何かあったら俺に言ってね?」

彼女「クスッ…はい、慣れましたけど、そのときはよろしくです!」

 

ベンガ「こらこら、急速になつくんじゃなーい!」

私「いつでもおいでね!」

 

あー、もう同級生が結婚とかする年になったんだーと思った

あのことを聞くまでは…

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ここからはベンガルから聞いた話だ。概ねこうだったようだ…

 

彼女を自分の両親に紹介して『結婚する』と宣言するとベンガルの両親は喜んでくれた。次はいよいよ、彼女の両親に会って許してもらう番だ。

彼女は東京に出てきて働いていたが、彼女の両親は群馬県に住んでいた。群馬県まで許しをもらいにベンガルは出かけた

 

ベンガルが結婚を許して欲しいと願い出ると彼女の父はこういった

 

父「熱意はわかった。許しもしよう。…が、ひとつ条件がある」

ベンガル「どういったことでしょうか?」

父「我が家と同じ信者に君の家族もなってほしい」

 

ベンガル「え?信者?宗教ですか?僕だけじゃなくて家族全員ですか?」

父「そうだ、家族全員だ」

母「ご家族も入って頂かないと、この先両家の意見が異なると困るでしょう?安心して娘を嫁がせられないの。わかって頂戴」

 

ベンガル「え?それは…」

母「一度ご家族とよくご相談してみてほしいの」

ベンガル「わかりました、とにかく相談してみます」

 

帰り道、ベンガルは訊いたそうだ

 

ベンガル「なんで条件があるって教えてくれなかったの?」

彼女「ごめんなさい、口止めされてたの。直接言いたいからって」

ベンガル「…。」

 

帰宅後すぐにベンガルは両親に相談した

 

ベンガル「オヤジ、どう思う?」

オヤジ「じょうだんじゃねぇ、どこの世界に宗教、親にまで押しつけてくるバカがいるんだ。ふざけんじゃねぇ…断れ」

オフクロ「そうだよ、イヤだよ今更なんとか宗教なんて…。お天道様で充分なんだよ」

 

ベンガル姉「あの子の気持ちはどうなの?結婚しても自分だけ宗教やってりゃいいじゃん。それは別に反対しないよ」

ベンガル「ん…、そうだよな」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ベンガルはそれから彼女を説得しようとがんばった…

 

ベンガル「ウチの親はとてもムリだな。俺だけ入信するんじゃダメなのか?結婚は俺たち二人の問題だろ?」

彼女「…でも、でもね、家族ぐるみのつきあいが出来ないなら、結婚式もあげさせないっていうの。勝手に式やるなら来ないって…」

 

ベンガル「そこまで言うか?それじゃ歩み寄りとかぜんぜんねーじゃんよ」

彼女「ごめんね…」

 

ベンガル「なぁ、俺、親と絶縁するからお前もそうしてくれないか?二人で結婚しよう」

彼女「…それは…」

 

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【イメージ映像】 昭和の居酒屋(伊勢丹府中店のすぐ前にある『昭和居酒屋 駄駄羅亭』)

【イメージ映像】 昭和の居酒屋(伊勢丹府中店のすぐ前にある『昭和居酒屋 駄駄羅亭』)

 

私「熱燗、二合追加でー」

ベンガル「…というわけでよー、破談になっちまったぜ…」

私「そっかー、彼女ついてくることは出来なかったかー」

ベンガル「物心ついたときから宗教やってて、教義信じてるから親を棄てて出てくるなんてありえないみたいだったな」

 

ベンガル「けど正直、嫌いになんかなれねーし、あいつのこと忘れらんねーし。もうどしたもんかね?」

私「俺もお嬢のことずっと引きづったもんなー」

 

私は燗をベンガルのおちょこに注いだ

 

私「忘れらんなかったらよ、思い出に生きろよ!」

 

そう言って自分の燗を飲み干した。ベンガルは私のおちょこに燗を注ぐとおちょこをチンとぶつけて言った

 

ベンガル「『お前とは本当の友情が生まれそうだ』っだろ?映画の見過ぎだろっ!」

私「ばれたか!」

 

ガハハと笑いあったその後は、映画批評に話が移った。

少しでも気が晴れればと、話題が尽きないようにと、深夜までそれは続いた…

 

(…第14話『用心棒?逃げ足だけはスコぶる早い』に続く)

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