前回、子供時代に姉と離れて暮らすことになった経緯を話した。今回はその後の話を続けようと思う。
姉と離れて暮らすことの寂しさも、半年を過ぎる頃にはだいぶ和らいだ。
何より生みの母と再会できたことで、置かれた状況が子供ながらにわかったことが大きい。次第に親に対する反発心もなくなっていった。
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小学2年生の春を迎えた。
お向かいさん家のマー君とおもちゃで遊んでいたら、お昼時になった。マー君はまだ小学校に上がる前、私より2才くらい年下だったと思う。
母「マー君、お腹すいたでしょう?ご飯にする?」
マー君「うん食べるー」
母は昨晩の残ったお総菜と玉子かけご飯を出してくれた。マー君は『美味しい、美味しい』を連発しておかわりをした。
母「マー君、沢山食べてねー」
母も嬉しそうだった。
あくる日、マー君が私に自分の家に来て欲しいという。私は向かいのマー君の家に上がり込んだ。
マー君の母「どくちんくん教えて、この子が昨日食べた玉子の料理はなーに?」
※私は近所の子供達から『どくちん』というあだ名を付けられていた。
私「玉子かけご飯だよー」
マー君の母「なーにそれ?どういう食べ物なの?美味しいから作ってって言うから困ってるのよ」
私「簡単だよ、ご飯に生卵をかけて醤油を混ぜて食べるだけ」
マー君の母は私に言われたとおり、ご飯に生卵をかけて醤油を混ぜてマー君に渡した。
マー君「美味しい、美味しい」
マー君の母「あら、美味しいわね、いつもこうして食べてるの?」
私「うん、朝とかお昼にときどき」
マー君の母はその時しきりに感心していたが、今思うと、『エ?玉子かけご飯を知らないの?』という感じだ。マー君の母の出身がどこなのか知らないけど、これ日本全国にあると思ってた。どうなの?これ読んでる皆さんの出身地で昔は玉子かけご飯を知らなかったという人いるのかな?いまだに不思議…。
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それからしばらく経ったある日、今度はマー君の家で遊んでいた。
単三の乾電池で走るおもちゃの車を走らせていたら電池が切れて止まってしまった。マー君がお母さんに電池をねだるとマー君の母は電池を1本持ってきた。
マー君の母「これしかないのよ、足りる?」
このおもちゃの車は電池が2本必要なタイプだった。
マー君の母「あら、ダメね、もう1本要るのね」
私「ちょっと取ってくる」
そう言って自分の家から細い針金を1本取ってくると空いているほうの電池のソケットのプラス極とマイナス極に針金を巻き付けて電源を入れた。
おもちゃの車は見事に走り出した。
マー君の母「まー、どうしてこうすれば走るって思ったの?知ってたの?」
私「なんとなくそうかなって」
今となっては覚えていないが、きっと電気工だった父が何かやっていたのを見て覚えていたのだと思う。
それ以来、私はマー君の母から賢い子と思われたようだった。
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夏休みになった。
夏休みの楽しみといえば盆踊りや縁日だ。父が自転車を買ってくれた話は前回したが、この自転車は大活躍だった。
盆踊りや縁日が楽しみといったが、近所の悪ガキ仲間との楽しみ方は普通ではない。その楽しみ方とは…
縁日翌日の早朝に小銭を拾いに行くことだ
盆踊りや縁日は夜まで行われることが多い。そこでは様々なテキ屋が並ぶが、すべては小銭の商売だ。お客は小銭を落としてしまうことも、ままある。
そしていったん小銭を落としてしまうと暗くて足下はよく見えない。また、後ろに並んでる人を気遣って長い時間探すことはしないことが多いし、小銭が転がって屋台の下に潜り込んでしまうことも多い。
私たちの狙いはソレだった。
私は自転車を買って貰った恩恵で、この仲間に入ることが出来た。
朝5時、目覚ましたが鳴った。
私「ラジオ体操行ってくるねー」
母「あら、今日はずいぶん早く起きられたのね」
自転車で公園に行くと総勢5~6名の仲間は集まっていた。
ガキ大将「今日は帝釈天だ。たぶん沢山落ちてるはず」
私「うん、急ごう」
私たちは柴又の帝釈天に向かった。帝釈天までは自転車で急いで約30分くらいだ。
ガキ大将「よし、一番乗りだ」
同じように釣り銭を拾いに来る子供たくさんいたが、その日は誰もいなかった。
私たちは手分けして屋台の下をくまなく覗き込んで小銭を拾った。中には500円札や運がいいと千円札が落ちていることもあった。
30分ほどで、1~2千円くらいにはなったものだ。ひとりあたり数百円は手に入る計算だ。当時は5円や10円の駄菓子が沢山売っていたので、これは小学生にとっては大金だった。
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別の日の早朝、私は友だちと水元公園にカブトムシを捕りに行った。朝早く行くとカブトムシやクワガタは面白いように捕れた。
お昼近くになって帰ることになり、私はひとりで自転車を漕いでいた。
すると大きな幹線道路沿いに黒いものが落ちているのが目にとまった。私は自転車を降りて草むらに分け入って黒い物を掴んだ。
私「財布だ」
父が好んで使うような長財布だった。
中を見てビックリした。聖徳太子が10枚以上入っていた。
当時の大卒の初任給がだいたい4~5万円だったことを考えると大人にとっても大金である。当時はこんな価格帯だった
・タクシー 初乗り400円くらい
・タバコ100円くらい
・少年ジャンプ100円くらい
私はあたりを見回した。だが、誰もいない。車の通行量は多いが、そのまま走り去ってしまう。私は交番に届けることを考えたが、交番までは遠い。それなら家に帰ったほうが近いからと、帰ることにした。
母「いったいどうしたの、これ」
私は詳細を話した。単に道に落ちいていたのではなく、草むらに投げ捨てられたように落ちていたこと。誰も近くにいなかったこと。汚れているので数日は経っていると思われることなどを話した。
母「お父さんに相談しましょう」
夜になって父が帰宅すると母は詳細に説明した。父は驚いている様子だった。
父「お前これ、盗んだもんじゃないだろうな?」
私「盗んでないよ、落ちてたんだよ」
どうやら父は信用した様子だ。父は明日警察に届けるといった。
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どういう理由だったのか、もう覚えていないが、その日はお向かいさんのマー君一家と親戚の叔父さんが我が家に集まって宴会をしていた。宴もたけなわの頃、マー君のお母さんが言った。
マー君母「あ、そうそう、ぼっちゃん賢いわね、電池が1本しかないのにおもちゃの車、針金でつないで走らせたのよ、すごいわね」
叔父さん「たまたまですよ、いつもテストで30点くらいだもんな?」
私はムッとした。確かにそうだが、みんなの前で言わなくてもと思った。
マー君父「でも、ちゃんと勉強すれば100点取れるよな?」
私のほうを見てそんなことを言った。私は何も言えずに黙っていた。
マー君父「まー、いつか取れるということで…」
叔父さん「ムリだって、ムリムリ」
私は腹が立った。みんなの前でバカにされて理性を失ってしまった。
私「じゃあ叔父さん、100点取ったら電卓買ってくれる?」
叔父さん「アー?ムリムリ。取れるわけないだろ」
私「取れたら買ってくれる?」
父「そこまで言ったら買ってやるって言わないとメンツがたたんぞ」
母「そうですよ、こんなけしかけるようなこと言って」
叔父さん「じゃあいいよ、100点取ったら買ってやる。せいぜいがんばれよ」
電卓は父がよくパンフレットを持ち帰って眺めていたのを記憶している。父がほしがっているのは子供心にもわかった。父は私の自転車を先に買ってくれたことで、きっと電卓を後回しにしてくれたのだと思った。
私の心は燃えあがった。当時の電卓は非常に高価だ。1万円以上はしたはずだ。決して安い買い物ではない。私はもとより、父と母に恥をかかせた叔父さんに絶対に電卓を買わせて後悔させてやると誓った。
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次の日から、すき焼きや豪華な鍋、お寿司などが夕飯に並んだ。私は勉強せざるをえない状況に追い込まれた。一晩経って冷静になってみると、100点などとれるわけがないと思い後悔し始めた。
私は母に相談した。
私「ねぇ、やっぱり止めようかな。難しいモン」
母「みんなの前であんなこと言われて、何もしないで止めちゃうの?情けないわね…」
いつも庇ってくれる母からこんな言葉が返ってくるとは思わなかった。私は、私以上に母が悔しいのだなと思い直した。
私は、その日から勉強に打ち込むことにした。
考えてみると100点を取れるとしたら国語しかないなと思った。単純な漢字の書き取りテストならチャンスがあると思ったのだ。だが、今まではそれでも50点くらいしかとったことはない。私は次のテストの日まで夜のアニメを我慢して漢字の勉強に打ち込んだ。
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いよいよ、テストの日だ。漢字の問題が配られた。
私は順調にマスを埋めていった。『わかる、わかるぞ』そう思ったとき、どうしてもひとつだけ忘れてしまった漢字があった。
もう時間がない。
そう思ったとき、ふと、隣の永田くんと目が合った。
永田くんは答案をズラして私の空白欄の自分の答えを見せてくれた。
今度は私が永田くんの空白欄の答えを見せてあげた。
これで全部のマスは埋まった。後は天に祈るだけだった。
翌日、テストの答案が返ってきた。
永田くんが呼ばれて『100点』と大きな声で先生に褒められた。私はヨシと思った。だったら永田くんから教わった部分と私が教えた部分は正解だったということだ。
そして私の番が来た。
『100点!』
先生におもっいっきり頭を撫でられて、ことのほか嬉しかった。私にも出来た、頑張れば出来た。永田くんと目があった。お互いに小さくガッツポーズをした。私と永田くんの二人だけの秘密ができた瞬間だった。
わたしは大急ぎで走って家に帰った。1秒でも早く母に知らせたい。玄関をガラッと開けると大声で叫んだ。
私「100点取れたよー」
母は台所から顔を覗かせると『本当なの?』と半信半疑の顔で言った。私は答案用紙を母に見せた。そこには大きく『100!』と書かれていた。
母「すごいわー、すごいじゃないの」
こんなに満面の笑みを浮かべて喜ぶ母の顔はみたことがなかった。
夜、父が帰宅するなり母は興奮気味に100点の答案用紙を見せた。
父「よくやった!よくやったぞー。あの野郎に仕返しだ」
あの野郎とは叔父さんのことだ。父は早速、叔父さんに電話かけて言った。
父「電卓はこれってきめてあるから金は用意しとけよ、男の約束だぞ、逃げんなよ」
一週間ほどたった日曜日の朝、目が覚めて居間に行くと父が座って説明書を読みながら電卓と格闘している姿があった。私は父の背中に抱きついて初めて見る電卓に『すごいね、すごいね』と言った。
その日一日中、父は私を『よくやった、よくやった』と褒めてくれた。
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それからさらに数日が経った頃、我が家に大きな荷物が運ばれてきた。
中身はレコードプレイヤーの両脇にスピーカーがセットになったステレオだった。部屋に設置してみると横幅が1.5メートルはあろうかという立派なものだった。
父は買ってきたジャズを鳴らしてご機嫌だ。母もニコニコとしていつになく楽しげだ。
だが、よく考え見るとこれはおかしい。当時、そんなに収入はなかったはずで、食うや食わずではないものの、そんな贅沢品が買えるほど裕福ではなかった。しかもステレオは当時、それこそ10万円近くしたはずだ。
…ん? そういえばどっかに10万円あったよなー
私は今では、あのステレオは拾った10万円をネコババして買ったんだろうと推測している。いや、おかしいのだ。100点取るぞと言っても毎晩のようにすき焼きだ、鍋だ、寿司だというのもおかしかったのだ。そんな贅沢はそれまで一回もなかった。
まあいい、あの世で父母に会えたら訊いて見ることにするか…。
(次回第21話に続く)