Tubakka’s blog

初老オヤジの青春時代の実話体験談。毎話読み切り。暇で暇でしょうがない時にお勧め。

(第21話)蒲田に引っ越し?父母との終の別れ

前話からの話の続きをしよう。

小学3年になった私は葛飾区の飯塚小学校に通っていた。当時の家からその小学校まではほとんどがあぜ道で田んぼが広がっているありさまだった。今ではとても東京とは思えない光景だ。

春、ある日下校していたら後ろからオートバイの爆音がした。振り向くと大きなバイクは停車した。担任の水野先生だった。

水野先生「おぅ、後ろに乗れ、送ってくぞ」
私「いいの?先生!」

先生は私を持ち上げると後部座席に乗せた。初めて乗るバイクにわくわくした。

水野先生「しっかり掴まれ」
私「うん」

先生の背中に抱きつくと、急発進したバイクに背中のランドセルが引き剥がされそうになった。自転車とは比べものにならない加速感を味わって、頬を抜けていく風が心地いい。風景があっという間に通り過ぎたかと思うと、もう家の前だった。

水野先生「ここだろ?家」
私「はい、ありがとうございました」

先生はバイバイと手を振ったと思ったら、あっという間に遠くに行ってしまった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

夏、ある日の夜…

母「今日は木曜日だから座談会だよ。もうすぐ呼びに来るからいっといで」
私「やだ、行きたくない!」

私の両親はある宗教に入信していた。問答無用で子供も入ることを強制された。私はこれが嫌で嫌でたまらなかった。なぜかと言うと木曜夜7時からのTVアニメが見れないからだ。

今と違って当時はビデオ録画などないから見逃すと二度と見ることが出来ない。

子供達の声「どくちーん、座談会いこー」
私「えーやだやだ!」

※私は当時「どくちん」というあだ名で呼ばれていた。

…抵抗空しく、いつも強制的に連行されていった。

座談会と言ってもやることは大人と一緒にお経のようなものをみんなで声に出して読んで、それが終わると係りの大人が何かひとつ小話のようなものを聞かせてお開きになる。1時間以上かかってそんな感じだった。

私は毎回胸くそ悪かった。

お経のようなものは意味がわからないし、子供同士で楽しい会話のひとつもない。最後の小話も説教くさいものばかりだった。学校の道徳の時間のほうがまだマシなくらいだ。

私は両親に『これ出たくない』と何度も言ったが、聞き入れられることは最後までなかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

秋、ある日の放課後、同級生から誘われた。

古川「今日さ、うちこねー?」
私「いいよ」

同級生の古川の家はスクラップ工場のような、廃棄物処理場のような、そんなことを営んでいたと思う。大きな家の隣には職人が寝泊まりする小さな宿泊所が長屋のように連なっていて、全部で20部屋くらいあったように思う。

部屋と言ってもわずか四畳半もない、極々狭い部屋だ。そこの労働者は一年中ここに寝泊まりして働いていた。

私と古川が工場に入ると入れ墨を入れたひとりの労働者が声をかけてきた。

入れ墨のオジサン「おう、ぼうず、ブランコ作ってやろうか?」
私「そんなこと出来るの?」

ちょっと待ってろと言ってオジサンは太い縄を納屋から持ち出してきて、工場の天井の梁(はり)に縄を投げて引っかけると、板を結わいてブランコを作ってくれた。その手の指は1本足りなかった。

古川「おぉー、スゲー」
私「いいね、いいね」

私たちは二人で漕いで大いに楽しんだ。入れ墨のオジサンも嬉しそうに笑った

古川の父「コラッ、何やってるんだ、危ないじゃないか!ケガしたらどう責任取るんだ」
入れ墨のオジサン「どうも。すんませんでした」

古川「なんでー?おもしろかったのにー」
私「もうできないの?」

向こうへいってなさいと怒られて、しぶしぶブランコから降りると家に入った。入れ墨のオジサンはまだ怒られているようだった。

 

-- 更生施設? --
今になって思うと、ここの工場は元ヤクザや行き場を失った人を雇っていたに違いない。腕や背中の入れ墨、指のない人、片眼の視力を失った人などが大勢いた。だが、当たり前かも知れないが、話してみると子供にはことのほか優しかったことを覚えている。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

冬、年の瀬も迫ったある日、母は私を連れて綾瀬駅からほど近い、母の妹家族の家にお泊まりで遊びに行った。

叔母の家は定食屋を営んでおり、夜は食事しながら酒を飲んでテレビを見る常連で賑わっていた。叔母の家族は夫婦の他に兄弟、姉妹の6人家族だった。

私は一番年下の末っ子のようなもので特に下の妹、凉子ちゃんに可愛がられた。

凉子「お菓子屋で何か買ってあげる、行こ」
私「うん」

外に出てお菓子屋に向かうと長男の慶太が用水路で何かしている。

凉子「何してんの?」
慶太「あぁ、ネズミやっつけてんだ」

覗くと金網に掛かった罠のネズミを用水路に沈め始めた。金網が激しく揺れて泡がたくさん水面にはじけた。私は何とはなしに見つめていた。

凉子「残酷だよね、たけどお店の天敵なんだ。ばい菌たくさんもってるからさ」
慶太「このあいだなんか客の足下で暴れたかんな、かなわねーし」

しばらくすると泡が静まった。

慶太「引き上げるとこ、見せねーほうがいいから早く行け」
凉子「うん、だね。行こ」

私は凉子ちゃんに手を引っ張られながらネズミの金網を眼で追った。ぐったりしたネズミはすでに死んでいるようだ。

凉子「見なくていいから行こってば」

強引に強く手を引かれて私はネズミを見るのを止めて凉子ちゃんを見た。凉子ちゃんはこの頃、中学1年生だったかと思う。

ここの兄弟姉妹はみんな美男美女だったが、なかでも最も整った顔立ちをしていたのが凉子ちゃんだ。すこぶる美人だった。そのせいか私は凉子ちゃんの前に出ると恥ずかしくなったのを覚えている。

お店に着くとなんでも好きな物を買えという。

凉子「何がいい?早く決めて」
私「・・・えーっと・・・」

私はなかなか決めることが出来なかった。私が欲しいものはひょっとして高いのかな?もっと安い物を選んだほうがいいのかな?そんな事ばかり考えてしまう。嫌われたくない気持ちが優ってグズグズと長引いた。

凉子「・・もう、これでいい?」

適当にチョコレートやせんべいなどを買ってくれた。
私「うん、それでいい」
凉子「次のときは遠慮しないで何でも好きな物買おうね?」
私「うん、わかった」

凉子ちゃんの家族はとても優しく、遊びに行くとトランプやボードゲームを一緒にしてくれた。姉と離ればなれになって暮らすようになった私が寂しくないようにと、母や叔母の家族が気を遣ってくれていたのだろう。

姉と離れて暮らしていることは残念だったが、それでも私はとても幸せだった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

年が明けた正月、まだ松の内の朝、父は突然他界した。

叫ぶ母の声で私は目が覚めた。母は父の体を激しく揺さぶってなにやら叫んでいた。
私は茫然自失としてぽかんと見ていた。

昨晩は鍋を囲んでつつき、焼き餅を醤油につけて食べたりしていた。
父は軽い晩酌はしたものの深酒もせず、三人で床についたのだ。現実の事として受け入れられなかった。

母は近所のかかり付けの医者にすぐ電話して呼び出した。医者はわずか10分くらいで来てくれた。

医者「ご臨終です。恐らく心不全でしょう。ずっと心臓に持病がおありでしたからね。残念です」
母「・・・」

私は俯いたまま泣くでもなく、ただ黙ってその様子を見ていた。父があの金網のネズミのように死んだとはとても思えなかった。

午後になり、ご近所さんや仕事関係の人が入れ替わり立ち替わりやってくると私は10円玉を握りしめて公衆電話に走った。姉に連絡しなければと思ったからだ。

10円を入れてダイヤルを回す、えーと、6xxx-0101っと。

オペレーター「はい、マルイでございます」
私「えー?マルイ?」
オペレーター「はい、こちらはマルイになります。どのようなご用件でしょうか?」

私はガチャンと受話器を置いた。そうだ、姉の家は6xxx-1010だった。0と1が逆だ。私はうっかり間違えて蒲田西口の丸井にかけてしまったようだ。困った…、もう10円玉はない。誰かに借りるしかない。

当時の蒲田駅西口の丸井(今はもうない)

私は家に帰って借りられそうな人を探した。母はダメだ、借りられない。何に使うのか聞かれるし、こんな時にやっぱり実母に連絡するのかと悲しむかも知れないからだ。

あたりを見回してみた。みんな良く知らない人ばかりだ。こんな時に10円貸して欲しいと言うのも気が引けた。

私は今日は連絡できないなと諦めた。

 

しばらくまたぼんやりした。するとまもなく宗教のオジサンが弔問に来た。父に別れを告げると私に近寄ってきた。

宗教のオジサン「本当に残念なことをした。お父さんは一生懸命信仰していたんだから、これからも一緒にやっていこうな」

私はそんな言葉を聞くでもなく、ただボーッと天井を見上げていた。父がまだこの辺にいて生き返るような気がしたからだ。そこに横たわっている父は眠っているようにしか見えなかった。

 

夕方になると弔問客はどんどん増えた。

綾瀬の叔母さん一家もやって来た。叔母さんは父の横たわる姿を見て泣いた。凉子ちゃんが父の顔を見たいというと母が顔にかぶせた白い布をめくって見せた。

凉子「伯父さん、伯父さん、うそでしょ」

そう叫ぶと凉子ちゃんは泣き崩れて、大粒の涙が膝に落ちた。

叔母「姉さん、生みの親より育ての親っていうじゃない、協力するから一緒にがんばろう」
母「ありがとう、そうするわ」

※前話で説明したが母は育ての親で生みの親ではない。

tubakka.hateblo.jp

 

凉子ちゃんがそっと私の隣に座った。手を握ると私に言った。

凉子「よく辛抱したね、もう泣いてもいいよ。一緒に泣こ?」

私はその言葉を聞くと同時に大声で泣き出してしまった。父が帰ってこないことが現実であることを告げられてしまった気がしたからだ。

大声で泣き出した私を凉子ちゃんは抱きしめてくれた。

私はさらに大声で泣いて大粒の涙を流した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

翌日、実母と姉がやって来た。

父を見るなり、二人ともひとしきり泣き崩れた。

 

姉「何で昨日すぐ電話しないんだよ?」
私「したんだけど、丸井にかかっちゃったんだよ、ゴメン」
姉「バカ!役立たず」

 

母がお茶を持ってきた。姉は私に公園に行こうと連れ出された。

 

公園に着くと姉が訊いてきた。

姉「お前どうしたい?こっちに残る?あたしと蒲田に行く?」
私「え?何?どうして?」
姉「だからあたし達と暮らすのか、残るのか訊いてんの」
私「えー?そんなのわかんないよ、お母さんはどうなるの?」
姉「それはお母さんが決めることなの、お前がどうしたいか訊いてるの」
私「そっちに行ったらお母さんひとりになっちゃうじゃん」
姉「そうだね、でも仕方ないよ」
私「・・・」

私は姉と暮らしたい気持ちはありつつも、育ての母が気になってしかたなかった。父を失ったショックに加えて、私までいなくなったらと思うと姉との暮らしを決断できなかった。

 

姉と実母が帰って夜になり、母と二人だけの夕飯を囲んだ。

もう、プロレスを見ながら酒を飲む父の姿を見ることはできないんだなと思うと、寂しさがこみ上げた。すると突然母が呟いた。

母「お前、姉さんと暮らしたい?」

…私はドキッとした。昼間、姉がしてきた質問だったからだ。

私「母さんといるよ、ここにいる」
母「まぁ、子供のくせ気つかって。正直に言いなさい?」
私「ホントだよ、ここにいるから」
母「そう…ありがと」

そう言うと母は、はにかんだように笑ってくれた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

49日の法要も済んだある日、下校しようと学校の門を出ると姉がいた。

姉「よう、元気か?」
私「・・・何?」
姉「何だよせっかく来たのに」
私「蒲田には行かないよ」
姉「よくわかったじゃん」

姉は私を蒲田に連れて行くために来たのだとすぐにわかった。

私「だから今日はもう帰っていいよ」
姉「そう言うなよ、とりあえず帰ろ」

家に着くと母と実母が座っていた。私と姉に座れと言った。

母「あのね、これからの事、みんなで決めたの。それでね、お前はお姉さんと暮らすことになったから今日から蒲田にいきなさい」
私「なんで?ヤダよ、お母さんは?お母さんはどうするの?」
母「お母さんは綾瀬の叔母さん家で暮らすことにしたわ」
私「え?だったら僕も綾瀬に行きたい、一緒がいい」
母「ごめんね、いろいろ大人の都合があって、それは無理なの」

『それは無理』だと聞いた瞬間、私は大声で泣き出してしまった。私は『嫌だ、嫌だ』と言い張った。そして思わず外に飛び出した。

外に出ると慶太兄さんの運転するワンボックスカーとすれ違った。急停止して凉子ちゃんがドアを開けて走ってきた。

凉子「待って!待ってってば」

凉子ちゃんが私の手を掴んだ

凉子「ね、話させて、話」

私は泣き顔を見られたくなくてそっぽを向いて言った。

私「お母さんが凉子ちゃんちに住むって。僕も行きたい」
凉子「お母さんがそう言ったの?」
私「うん」
凉子「嘘だよそれ、お母さんは別の町で住み込みで働くから一緒に連れて行けないんだよ」
慶太「おい、それ言っちゃだめだろ」
凉子「本当のこと言わないと納得しないよ」
慶太「しょうーがねーな」
凉子「でもね、みんなを心配させないために嘘ついたの、わかってあげて」

私は座り込み俯いて泣いた。

慶太「もう今日は引き上げよう、みんなに言ってくる」

 

その日はみんな帰って行った。私と母だけの夕飯となった。私も母も無言で食べ続けた。夕飯の片付けが終わると母と二人でTVを見た。母は私の好きなアニメにチャンネルを回してくれた。

時計が寝る時刻を告げると母は布団を敷いてくれた。二人で寄り添って布団に入ると母は呟いた。

母「お母さんね、やっぱり姉弟は一緒に暮らすべきだと思うわ。だから蒲田に行ってほしい。お母さんや凉子たちとはいつでも会えるんだから。会えなくなるわけじゃないんだから…」
私「・・・」
母「それにね、大人にもいろいろ事情があってそうしてほしいの。ね?」
私「・・・そうなの?」
母「そうなのよ、お願い、そうして」
私「・・・また会えるの?絶対?」
母「もちろん、絶対よ」
私「・・・わかった」

もう承諾するしかないんだと諦めた瞬間だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

次の日曜日、慶太兄さんと凉子ちゃんに姉も加わって私の引っ越し荷物をワンボックスカーに積み込んだ。最後の自転車を積み終えると私は母と手を繋いで玄関から出た。私の肩に両手を置いて母は言った。

母「じゃ、蒲田に行ってもちゃんと言うこと聞いて勉強しなさいよ」

私は頷いてから母に抱きついて『行ってくる』と言った。

車に乗り込んでエンジンが掛かると涙が溢れた。母は小さく手を振って『またね』と言った。

車が遠ざかると母は小さくなり、角を曲がると見えなくなった。

凉子ちゃんが抱きしめてくれた。すると姉は頭を撫でてくれた。

蒲田に着くまで、私は泣きやむことができなかった・・・。

 

(…次回(第22話)に続く)