前回、Y崎さんの事に少し触れたので思い出を語ろうと思う。
先にコチラを読むと話がスッと入るはずだ。
私は高校3年の秋から卒業するまでの半年間、神奈川県は京浜急行の川崎駅ガード下にある『レストラン・ポルカ』でバイトをしていた。(※現在は廃業)
このバイトは姉の友人からの紹介だ。
店の名前と場所と時間だけ教えられ、バイトの初日を迎えた。
店に着くと私はドアを開けた。
ガランガランとドアベルが鳴り、黒いベストとズボン姿の50才くらいの男性と目があった。背は150cmと少しあるくらいで痩せていた。頭は七三分けだ。
私「あのー、XXさんの紹介できました」
黒服姿の男性「うん、聞いてる、今日からよろしくな」
黒服姿の男性は店のマネージャーだった。
店は広く外観からは想像もできないほどだった。四人掛けのテーブルが1階に12~13席、4段下がった半地下の階には6席ぐらいはあっただろうか。その奥に20畳くらいの厨房と6畳ほどの従業員の更衣室があった。
マネージャー「あーそれから紹介しよう、Y崎くんだ」
Y崎「よろしく」
私「よろしくお願いします」
Y崎さんはブロンドヘアーだったと前回書いたが、単に金髪に染めていたにすぎない。
だが、バイトの初日は普通に黒髪だった。
黒髪ではあったが、パンチパーマに剃りこみを入れた眉毛と上唇に蓄えた口ひげ、そして何より睨みつけるような切れ長の目を見ると、俗に言うカタギには見えなかった。
マネージャー「作業の事はY崎くんから聞いてくれ。じゃ俺はでかけるから」
Y崎さんと二人きりになった。厨房にはコックが2名いるが、半地下になっていて直接は見えない。そして客は誰もいなかった。
私はものすごく不安になった。
--読者諸君は言うだろう--
・お前そっち系と遭遇率高すぎだろ
・話盛ってんのか?
そのとおりだ。遭遇率は高いことは認める。
だが当時はみんなこんなもんだ。大田区の海側とか川崎あたりの学生はみんなビビッて登校してた。いつカツアゲに会うかもわからない、まさにビーバップの世界だ。あの漫画はフィクションではない、昔は現実だった。
Y崎さん「XXに誰かバイトいねぇかって頼んだのオレだぜ」
私「あ、そうだったんですか、自分はXXさん知らなくて姉から言われて来ました」
XXさんは知らないが、どんな方向にとんがった人かは想像できた。
Y崎さんはまず、三角ナプキンの折り方を教えるから真似してみろと言う。
三角ナプキンは最初から三角なわけではなく、四角いナプキンを手で折っていたのだ。
手で折って3つの三角が上になるように折るのだ。
これが本当に難しかった。
上に出てくる三角の大きさと確度のバランスがまったく合わないのだ。
そして低い声でボソッと言われた。
Y崎さん「お前何枚無駄にする気だ?」
私「!・・・」
私は氷付いた。その時・・・
Y崎さん「ウっソ、ピョーン!」
私「!!・・・」
私はさらに氷付いた。その風貌でお茶らけられても、逆に恐怖だ。
Y崎さん「なんだよシャレだぜ、ウケるとこだぜ」
私「あ、そっかぁ」
Y崎さん「こんなんいくらでもあっから、ゆっくり慣れればいんだぜ、気にすんな、な?」
Y崎さんはいい人だった。
店の営業時間は夜8時までだが、その日は一人もお客が来なかった。
私「お客さん、一人もこなかったですね、こんな感じでやっていけるんですか?」
Y崎さん「京浜急行が親会社で税金対策の店らしいぜ、でもちょくちょく近所のお菓子工場が貸し切りで宴会とかはあるぜ」
そうなんだと納得した。
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仕事にもY崎さんにも慣れてきたある日、なんか違和感を覚えた。
Y崎さんの接客がどうも妙なのだ。
なにが妙かと言うと、客の注文をメモしないのだ。普通はメモを取らないと忘れてしまう。だが、Y崎さんはメモしないのだ。
客「え?メモ取らないの?覚えるの?」
Y崎さん「えぇ、どうぞご注文ください」
客「えぇ?本当にー?えっとじゃーあれとこれと・・・・以上、頼むよ」
Y崎さん「ご注文ありがとうございました」
復唱なんかしない。
そして本当に驚くのはここからだ。その後もなんと4~5卓ぶんをまとめて暗記して帰ってくるのだ。帰ってくるとオーダー用紙にどんどん記入し始める。次から次へと・・・この間、わずか1分だ。とても信じられない、全部で15名程度の注文を丸暗記している!!
私「なんでこんなことできるんスか?」
Y崎さん「ん?コツあんだぜ」
コツと言うのはこうだ。ひとつのテーブルをひとつのタンスだと思い、ひとつの注文をひとつの引き出しにしまう。そして引き出しにお客さんの顔を焼き付ける。コーヒーとステーキを頼んだら2つの引き出しにその人の顔を焼き付けて、引き出しを開けると注文が出てくる・・・そんな感じらしい
そんなんできるかーーーーーーー!!
っと私は思った。
バイトを始めてひと月も経たずに宴会が入った。貸し切りだ。貸し切りはいつも大体5~60名くらいだったと思う。
私はこの日、なぜチンピラのような風体のY崎さんに特殊能力が培われたのか、その謎を解明するヒントを得た。
A卓客「おー、ビール2本ねー」
C卓客「日本酒熱燗ちょうだい、おちょこ3つね」
F卓客「ワインのロゼ、赤玉パンチの!」
宴会の日は約3時間、終始こんな感じだ。料理を運んでる最中も、生を運んでいる最中も、行きも帰りもひっきりなしに注文を受ける。それをマネージャー、Y崎さん、私の3名でこなす。
目の回る忙しさだ、片時も休んでいる暇はない。そしてその時に悟った。
メモ用紙なんか持ってられるか!
メモ用紙に注文を書くどころか、そもそも生を両手いっぱいに持って運んだり、皿を重ねて片付けたりしているのだ。メモ用紙どころか、ポールペン1本たりとも持っていられない。行きも帰りも手がふさがっているのだ
だから覚えるしかなかったのか。だとしたら私にも身に付くかもしれない。私は卒業までに努力を重ねる決意をした!
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ある日、マネージャーから話があった。
マネージャー「やっぱり宴会3人はきつい、もう一人バイト雇った、明日の宴会からだ」
えっ?いきなり宴会スタート?それヤバくね?・・・心の中でそう思ったが、もちろん遅い。
Y崎さん「明日から?そりゃーまずいぜ」
私「そっスよね?いくら何でも宴会スタートはないスよね?」
うんっ、気持ちがシンクロしたと思った。
翌日、新人バイトくんが現れた。
新人バイト「よろしくお願いします」
新人バイトくんは高校2年生だったと思う。私よりひとつ下だ。当時の私の短い人生経験では出会ったことがないような爽やかな好青年で、私は好感を持った。たぶんマネージャーも同感だったはずだ。
そこにガランガランとドアベルが鳴った、外人のお客さんのようだ。
いや、違う、え?Y崎さんだ。頭が金髪になっていた。
マネージャー「お前何やってんだ、その頭で出る気か?」
Y崎さん「ええ、まぁ」
曖昧に答えた。このまま押し切る気だ。
そうか、貸し切りの日にわざとぶつけたな。Y崎さん抜きでは宴会は乗り越えられない。
かくしてバイト服に着替えたY崎さんはホールに立った。黒いベストにズボンに金髪のパンチパーマは異様に目立つ。そこに団体の予約客がやってきた。客の反応が心配された。
マネージャーの顔に緊張が見て取れる
しかし、それは杞憂だった。考えてみればそうだ。この団体客は常連のお菓子工場の人たちだ。なじみ客なのだ。Y崎さんのことも良く知っていた。
男性客「おー、決まってるねー、集会でもあるの?」
女性客「へぇー、綺麗に染まってるねー、美容室?床屋さん?」
Y崎さん「自分でやりました」 女性客「ええー、上手ー」
何事もなく宴会は始まった。
私は新人くんを見た。俯いて微動だにしない。私は生を運ぶように伝えると、ハッとして顔を上げ、でかい生ジョッキをいくつも運び始めた。
料理を次々と運び、空いた皿やグラス類を片付ける。今夜も死ぬほど忙しい。特に半地下の4段ある階段を何度も往復するのが地味につらい。まるでライザップだ。体を鍛えにきたわけではないのに、結果として生を運ぶ腕や胸の筋肉はもりもり付き、スクワットのように鍛えられた太ももが確実に太くなった。そんな私やY崎さんでも辛いのだ。
新人くんが心配になった。だが、新人くんは何事もそつなくこなし、息を切らしながらもがんばった。これなら即戦力じゃないかとY崎さんと話した。
私「あいついっスね」
Y崎さん「おぅ、イイジャン」
ほどなくして宴会は無事に終わった
私は新人くんに言った。
私「宴会は月に数回だから今日はたまたま忙しい日、いつもは客が2~3組だから安心しろよな」
新人くんは笑顔でわかりましたと返した。
だが、それ以来、新人くんを見ることは二度となかった。
私「こなくなっちゃったっスね」
Y崎さん「超絶忙しかったからなー」
私は思った。「いや、あなたのせいもあるっしょ。金髪パンチはないわ、フツー、一緒に働くの怖いっしょ。それに言ってたでしょ、「明日から?そりゃーまずいぜ」って。新人の初日から金髪パンチになるのがまずいって思ってたでしょ」
だが言えなかった。私は話題を変えた。
私「そういえば何で金髪にしようと思ったんスか?」
Y崎さん「ダチが余ってるからってそういうのくれたんだよ」
そんだけ?そんな理由で?そりゃー余るでしょーよ、金色は。私はわずかに芽生えた尊敬の念を摘み取ることにした。
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しかし、そんなY崎さんをマネージャーがクビにすることはなかった。相変わらず金髪でホールに立ち、接客をしていた。始めての客はみな異様に驚いたがどこ吹く風だ。そうして日常が戻ったある日、私はクビにするどころか、クビにしたくない理由がマネージャーにあることを理解した。
ひとつ目のエピソードはこうだ。
当時の川崎は治安が大変悪かった。今でいうホームレス、あの頃は乞食と呼んでいた。それが店の前を掃除し始めるのだ。もちろん、そんなことは誰も頼んでいない。だいたい・・・
お前がまず風呂に入れ!
と言いたくなるほど臭うのだ。着ている服もボロボロだ。頭は禿げているのに後頭部は長髪だ。お前は落ち武者かっ!
Y崎さん「またレレレが来やがったぜ」
Y崎さんはそのホームレスをレレレと呼んでいた。天才バカボンのレレレのおじさんのことだ。そのホームレスがどこから持ってきたのか知らないが竹ホウキで店の前を掃きだすのだ。
Y崎さん「てめー、くんなってつってんだろ、しつけーぜ!てめーが居ると客が来ねーぜ」
効果は抜群だ。レレレは一目散に逃げていく。
私「なんであいつ来るんスか?」
Y崎さん「隣のサ店のおばちゃんが人がよくてよ、食いもんやって癖になってるぜ」
私「そうだったんスね」
Y崎さん「日雇いのバスが朝方並んでああいうの雇うんだぜ。でも仕事にありつけないヤツもいる。それがレレレの正体だぜ」
私「なんか悲しいスね」
だが同情はしていられない。いくら京急の子会社と言っても売り上げは必要だ。追い払う必要はある。
以前、同じ事をマネージャーがやっていたが迫力がなく、逆に舐められる始末で、なんかもらうまで掃き続けたらしい。一種の乞食ビジネスだ。
ふたつ目のエピソードはこうだ。
当時の川崎は治安が悪いといったが、ホームレスだけでなく暴走族上がりのチンピラや渋谷のチーマー崩れのような連中もいた。
ある日、こんなことがあったそうだ。
チンピラA「おう、このピラフ、ゴキブリ入ってるぞ、どういうことだ?」
マネージャー「そんなはずありませんよ」
チンピラB「現に入ってんだろーが!」
こんなやりとりがあったらしく、見ると立派なゴキちゃんがいたらしい。その後難癖つけて金をせびり、マネージャーは少ない小遣いから払ったこともあると。だが、Y崎さんが来てからマネージャーが対応することはなくなったと。
Y崎さんはそういう客が来るとガンとして店の料理にそんなものは入らないと譲らなかった。相手2~3人居ても動じない。文句があるなら外で話そうと腕をまくると、チンピラはスゴスゴ帰って行った。いや、帰る前にはキチンと料理の支払いまでさせた。
マネージャーにとってはヒーローだ。クビになど出来るはずもなかった。
私は再びY崎さんに尊敬の念が芽生えた。そしてその芽は最後まで摘み取られることはなかった。
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そんなある日、Y崎さんの友人たちが店にきた。夕飯だ。友人たちはそれぞれ注文し、その中にはピラフの注文があった。Y崎さんはいつものように、友人たちの注文に裏技を使って大盛りに変えた。普通料金しか払わないのに大盛りになる裏ワザだ。
仕組みはこうだ。
当時の注文票は2枚重ねになっており、2枚目はカーボンコピーのようになっている。要は1枚目に書いた注文が2枚目に写る仕組みだ。
Y崎さんは普通に書いた注文票の1枚目をめくると、2枚目だけに(大)と書いた。
厨房には切り取った2枚目を持って行って料理を作ってもらう。
いつもこんなことをしていた。
運ばれた大盛りピラフを友人が一口食べると手が止まった。静かに指さす。私とY崎さんは注目した。
でかいゴキちゃんだった!
1枚目の注文票に(大)の字を加えて辻褄を合わせると、Y崎さんは猛然と厨房にゴキ入りピラフを持って行った。厨房のコックは包丁を持って立っていた。料理の受け取り口の前で。
Y崎さん「こんなん食えねーぜ」
コックA「注文にねーもん、作らしてんじゃねーぞてめぇ」
厨房にはばれていたのだ!どうやってわかったんだろうか、今だに不明だ。
さすがのY崎さんも言い返せなかった。とりあえず、まともな料理と交換だけはしてくれと頼むのがやっとだった。そしてお茶目に笑ってこう言った。
Y崎さん「ウチにもゴキちゃんいたぜ」
私はY崎さんが大好きになっていた。
バイト卒業間近のある日、Y崎さんにこんなことを言われた。
Y崎さん「お前、女だったら俺に惚れてるぜ」
私「そっスかね?」
そうかもしれないと思った。
この金髪パンチパーマのヤクザ風情の男が異常な暗記力をみせたり、たかってくるチンピラを撃退したり、友人思いだったりするのを見ているうち、いつの間にか兄のように慕っていることに気づいた。
そしてバイトを卒業した日、思った。「結局、俺のタンスはひとつだったな」
どうしてもY崎さんのようにはいかなかった。ふたつ目のタンスが頭にできる日は来なかったのだ。
私がY崎さんに追いついたのは三角折りだけだった。
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それから4~5年後、私はY崎さんと再会した。再会のきっかけは何だったのか、今もどうしても思い出せない。
だが、その後の事は鮮明に覚えている。この時はすでにレストランを辞めているから家に遊びに来いということだった。
そこは川崎駅からすこし離れたマンションだった。
ピンポンと鳴らすとランジェリー姿の女性が出てきた。
女性「ダレ?」
東南アジア系の若い女性だった。
私「Y崎さんはいますか?自分後輩のXXです」
Y崎さん「お、入れ入れ。待ってたぜ」
女性は奥さんだった。国際結婚していたようだ。
奥さんはビールとつまみを持って来てくれた。軽く会釈した。
乾杯をすますとバイト時代の話に花が咲いた。あんなことやこんなこと、レレレを追い払い、ゆすりたかりを撃退したこと、話題は尽きない。
小一時間すると近況の話題に入った。
Y崎さん「お前今仕事は?」
私「いや、ただのサラリーマンっスよ」
私は高校を卒業してからコンピューター会社に勤めてプログラマをしていた。
Y崎さん「そんなんじゃ儲かんねーぜ、一緒にやろーぜ」
Y崎さんは自分の仕事の話を始めた。
Y崎さん「フィリピン、知ってっだろ?そこのマニラ往復すっと儲かんぜ」
Y崎さんは概要を教えてくれた。とても人には言えない仕事だった。
私「そうなんスか?、スゲー儲かるんスね。でも今の仕事が好きなんでちょっと考えてみるッス」
それからしばらく雑談をしていると、私はふとY崎さんの右目だけ、視点が定まらないように見えた。私は中学の時にシンナー遊びをしている不良を見たことがあった。表情が似ていた。
ほどなくして私は次の日が早いからと失礼した。
Y崎さんは玄関まで見送ってくれた。
Y崎さん「また、来いよ、さっき話した件、待ってるぜ」
私「はい、また来ます」
嘘だった。
私は駅までの帰り道、歩きながら思った「二度と来るわけねーだろ、クソが!」
涙が出ていた。
顔はぐしゃぐしゃだ。通り過ぎる人が私を避けていた。
私は泣いた。男泣きに泣いた。ハンカチを持ってくれば良かったと思った。
あの言葉が渦巻いていたからだ。
「ウっソ、ピョーン!」
ありし日のY崎さんの顔を思い出していた。
思いやりにあふれた優しい目は、まっすぐ私を見つめていた。
(…次回『(第4話)上には上?開成高校 』に続く)