Tubakka’s blog

初老オヤジの青春時代の実話体験談。毎話読み切り。暇で暇でしょうがない時にお勧め。

(第22話)お母さんって呼んで?小さな観覧車

大田区 蒲田小学校の校舎】

今回も前話からの話の続きをしよう。

育ての母から離れて実母と姉の三人で蒲田で暮らすようになった。蒲田での暮らしはアパート住まいだ。私が一緒に住むことになったと実母が大家に報告に行くと、大家の旦那はこう言い放った。

大家の旦那「ひとり増えるんなら来月から家賃二千円追加だよ」

帰ってくるなり実母はぷんぷん怒ってこう言った。

実母「どこの世界に子供が増えて家賃が上がるアパートがあるっていうの、バカにするのもいい加減して欲しいわ。悔しいから今月から払うって二千円投げつけてやったわ」
姉「さっすが~!やる~!」

今では信じられない話だが、当時は人の足下を見る因業大家が珍しくなかった。

 

 

ほどなくして私は蒲田小学校に転校した。

緊張しながら挨拶をして座った席の隣にはU田女子がいた。U田女子との一悶着は第7話で述べた通りだが、今回はそれよりも前の話だ。

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自分の席に着いて少し落ち着いてみるとクラスの生徒の言葉遣いが妙に感じた。私に話しかけてきたバットシと呼ばれていた男子の語尾がきになる。

バットシ「お前どっから来たの?その上着いいじゃん」

私はたいした上着は着ていなかったが、話しかけるキッカケに適当に上着を褒めたのだろう。だが、私には最後の「…じゃん」を奇異に感じた。

私「じゃんって何?じゃんて言うの、この辺だと」
バットシ「えー?言うよ普通に、みんな言うよ」
私「へぇーそうなんだ」

元々は神奈川県の方言らしいが、私の住んでいた葛飾区の金町でそんな語尾をつける人は大人も子供もひとりも見たことがなかった。

同じ東京でわずかな距離なのにえらく違うもんだなとこのときは思った。だがこの1年後に金町の友人に会いに行ったとき、この友人も「じゃん」を遣っていた。どうやら西から東に言葉が移って来る過渡期だったのだろう。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私は転校してした初日からスムーズにクラスに溶け込んだ。バットシとも仲良くなれたし、他の生徒とも気軽に会話出来るようになった。

バットシ「帰りによ、ゲーセン行こうぜ」
私「ゲーセン?」

いわゆるゲームセンターのことだ。金町にはそんな店はなかったから知らなかったのだ。

私「金かかるよね?100円ぐらいしか持ってないよ」
バットシ「金要らねーよ、メダル貯まってるからやるよ」
私「へぇー、ならやりたい」

 

他にも3人ほど引き連れて私たちは京浜蒲田の商店街にあるゲームセンター「ポナンザ」に向かった。(※店名は『ボナンザ』だったかも知れない)

バットシは店員になにやらカードを見せると店の奥から大量のメダルの入ったバケツを受け取った。誇らしげに私に見せるともうひとつのバケツに半分近くのメダルをくれた。

私「え?こんなに悪いよ」
バットシ「悪くねーよ、いくらでも取れるんだからよ」
私「そうなの?」

スゲーなバットシってゲーム上手いんだと思った。

私「どれやろうかな?」
バットシ「競馬、競馬!それ終わったら何やってもいいからよ」
私「ふーん」

私たちは全員が競馬ゲームに陣取った。

早速、賭け方を教わっていくつか賭けてみた。だが案の定、私は負け続けた。みんなも負けていたがわずかに1~2枚のメダルしか賭けていないようだった。

バットシ「よし、店員が外行った、じゃあ行くぞ」

そう言うや否や、バットシは競馬ゲームの裏にあるコンセントを激しく抜き差しした。

競馬ゲームの画面が何度も瞬断されて画面がちらついた。

バットシ「今だ、賭けろ!」

そうするとみんなはすべての賭けのボタンを激しく押し始めた。

バットシ「何やってんだ、お前も押せ!」

私も適当にボタンを押した。1-2、1-3、2-3、2-4など押せるだけ押した。そうするとなんと言うことだ、メダルを入れていないのにすべての賭けにベットしている状態となった。

まもなく賭けられる時間が終了し、レースが始まった。当然のように全員に当たりメダルの払い出しが行われたが、そのメダルを吐き出す音はすさまじかった。だが、店員は外の見回りにでも行っているのか、聞こえないようだった。

バットシ「よし、じゃあみんな解散!好きなのやってこいよ」

私はビックリしていた。

バットシ「な?金いらねーだろ?好きなのやってこいよ」
私「スゲー!」

その後はみんな思い思いのゲームを楽しんだ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

翌日の教室

私「昨日のスゲーよ、あれどうやったの?」
バットシ「うん、あれ『栓抜き』って呼んでるんだ」
私「せんぬき?」

仕組みはこうだ。なぜだかわからないが、1秒間に何度も競馬ゲームのコンセントを抜き差しすると、どうも中のコンピューターが狂うらしい。メダルを入れてなくても賭けることができるようになるというのだ。

私「なんでそんなことわかったの?」
バットシ「たまたまなんだよ、誰かが転んでコンセントが抜けたときに上手くコンセントが入らなくて何度も入れ直してたとき、6年生が賭けられるようになってることに気がついたのが最初だって聞いた。俺はそれを6年生から教わっただけ」
私「そうなんだー、スゲー偶然だったんだなー」

それから毎日、私たちは学校帰りにこのゲーセンに行ってゲームを楽しんだ。もう充分なメダルがあるにもかかわらず、私たちは『栓抜き』に明け暮れた。

 

バットシ「よーし、いいぞ!」

同じようにみんなですべての着順にベットした。そしてこの日は4-5が当たった。これは滅多にこない着順で配当が高い。従ってメダルを吐き出す時間はいつもの3倍くらいあった。これがまずかった。

店員「ちょっと待った」

私たちはハッとした。

店員「お前たちなんで全部に賭けてんだ?それも全員じゃねぇか、おかしいだろ?どういうことだ?」
バットシ「みんなで一斉に賭けてみようってやってただけです」
店員「全部に賭けたら損するに決まってんだろ?本当の事言え!」

これ以上言い逃れをすることは小学4年生には出来なかった。こうして私たちのインチキはバレて、すべてのメダルは没収されてしまった。警察に突き出すことを簡便してもらう代わりに出入り禁止となった。

私「もう、ここ来れなくなっちゃったな」
バットシ「まさか4-5くるとはな」

こうして私たちの楽しい遊び場はなくなってしまった…。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

ある日曜日、朝起きると姉が支度しろという。

私「え?どこ行くの?」
姉「いいから!行けばわかるよ」

そそくさと外出の支度をすると実母と姉の三人で出かけた。バスと歩きで30分程度だったろうか、そこに着いた。そこはいかにもな宗教の建物だった。

【イメージ映像】ブログ本文とは関係ありません

私「ゲーッ!また宗教なの?俺帰る」
実母「ダメよ、顔見せに連れてくるって言ってあるんだから」
姉「今日だけ我慢しろよ」

死ぬほど嫌いな宗教に連れてこられて私は暗い気持ちになった。父が他界してようやく宗教と無関係になったとおもったら、今度はまた違う宗教に実母は入れ込んでいた。

私(小声で)「まさか信じてるの?」
姉(小声で)「なわけねーだろ!」

私は少しホッとした。

お堂のなかに入り参拝を済ませると、ここで一番偉いとされる宗教家のおじさんに挨拶をした。

実母「ご挨拶が遅れまして。息子です、よろしくお願いいたします」
私「こんにちは、よろしくお願いいたします」

宗教家のおじさんは私をしげしげと見回すと父との思い出を話し始めた。

宗教家のおじさん「お父さんが亡くなっておじさんもとても残念だよ、お父さんとはね、ずいぶん昔、よくお酒をのみに行った友だちだったんだよ」
私「お父さんと?」
姉「え、そうだったんですか?」
宗教家のおじさん「そう、ずいぶん若いときにね、たまたま知り合ってね、意気投合して良く飲みに歩いたもんだ。なんせお父さんはお酒が強くてねぇ、いつも2軒、3軒と連れ回されたもんだ、懐かしいなぁ」

私たち姉弟はまったく知らなかったが、実母はうんうんと頷いて知ってるようだった。

宗教家のおじさん「お父さんはね、とてもいい男だったよ、気さくでね、筋を通す立派な人だった。いいお父さんだよ」

私はことのほか嬉しかった。父をこんなに褒めてくれる人に初めて出会ったからだ。

宗教家のおじさん「またちょくちょく遊びに来るといい」
私「わかりました」

私は宗教は嫌だが、このおじさんの事は好きになった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

しばらく経ったある日曜日。

実母「どこも連れてってないね、花屋敷でも行こうか」
姉「そうだね、どこも行ってないね」
私「花屋敷?」

蒲田に越してきてから家族で出かけるとしたら例の宗教施設だけだった。私は花屋敷が遊園地であることも知らなかったが、姉から聞いて初めての遊園地に胸が躍った。

 

電車で浅草にある花屋敷に着いた。小さいながらも乗ってみると迫力のあるジェットコースターは楽しい。花屋敷は園も小さくアトラクションも今に比べればお粗末ではあったが、初めてだった私には、この上ない楽しい思い出となった。

帰りに寄った浅草今半のすき焼きは信じられないほどのおいしさだった。

楽しいひとときも終わり蒲田駅に着くと姉が実母に先に帰っててと言った。

姉「お母さん、先に帰ってて、観覧車乗って帰るから」
実母「遅くならないようにね」

姉は蒲田駅ビルの屋上に私を誘った。そこはごくごく小さな観覧車があった。

姉「これ乗ってみようよ」
私「うわーちっさー

しかし、乗ってみるとその小ささとは裏腹に駅ビルの高さとあいまって、観覧車からの眺めは見事に遠くまで見渡せる、すばらしい景色だった。

【東急プラザ蒲田】観覧車

私「すげー遠くまで見えるぅー」
姉「ねー?バカにしたもんじゃないでしょー」
私「ほんとだー」

さわやかな春の風に揺れるゴンドラは心地よかった。
そして観覧車が頂上についた頃だった。

姉「ねー、ちゃんとお母さんって呼びなよ」
私「え?」
姉「1回も聞いたことないよ、お母さんって呼んでないじゃん」
私「・・・」
姉「実のお母さんはこっちなんだからさ、呼んであげないと可哀想じゃん」
私「わかってるけどさ、なんとなく言いづらいんだよな」
姉「早く呼ばないとずっと呼べなくなるよ」
私「・・・わかった」

姉は私がずっと気に病んでいることをズバッと言い当てた。自分でもわかっていた、このままではダメだと。でもなかなか言い出しにくかった『お母さん』と呼ぶことにためらいがあった。別に嫌いとか育ての母を気にしているつもりもなかった。

だが、蒲田に来てからもずっと呼べずにいた『お母さん』と・・・。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

蒲田のアパートには風呂が付いてなかった。

当時のアパートとしては珍しくなかったし、金町の家にも風呂はなかったから別に何でもない。三人揃ってよく近所の風呂屋に出かけたものだ。

小学校4年生ともなれば、もちろん男湯だ。男湯、女湯と二手に分かれて暖簾をくぐる。どこの家族もたいていは一緒に風呂に来ていた。そしてよくあるのがシャンプーや石けんを男女どちらかが忘れている光景だ。

そんなとき湯船の端に行ってかけ声をかけて「石けん投げてくれ」などと言う。銭湯の男女は仕切りがあるが屋根との間には空間が沢山あるから、モノを投げて寄こすのはよく見た光景だ。

そしてこの日、私も同じ事をしなければならなくなった。

シャンプーを忘れたからだ。姉の名前を呼んでシャンプーを投げて貰うことを思いついたが、私は少し迷った。これをいい機会にしてみようと思ったからだ。

 

私「お母さーん、シャンプー投げてー、シャンプー」

 

私は直接顔を見ていないのであまり恥ずかしげもなく大声で叫んだ。

姉「シャンプー投げてって言ってるよ、アイツ」
母「えー?あんた投げてあげなさい」
姉「お母さんって言ってるんだからさ、投げてあげてよ」
母「しょうがないわねー」

母は端のほうからシャンプーを投げた。シャンプーは男湯の床にカンカンと音を立てて転がった。

私「ありがとー」
母「もうすぐ出るわよー」
私「わかったー」

私は初めて実母に『お母さん』と呼ぶことが出来た。銭湯を出た後、姉はこっそり私に耳打ちした。

姉「お母さん、めちゃくちゃ嬉しそうな顔してたよ」
私「そうなんだ」
姉「もうお母さんって言えるな」

私は帰り道にある焼き鳥屋を指さしながら、ここぞとばかりに母に甘えた。

私「お母さん、焼き鳥食べたい、ダメ?」
母「ごはん食べたでしょー、しょうがないわねー」

嬉しそうに母は焼き鳥を買ってくれた。

春の心地よい夜風の中、三人で焼き鳥をほおばりながら帰った・・・。

 

(…次回(第23話)に続く)