このBlogは前回の続きだ。
先にコチラを読むと話がスッと入るはずだ。
前回、私は就職のために部屋を借りるお金が必要だといった。
元々私は大田区で母親と一緒に住んでいたが、事情があって姉の嫁ぎ先に近い神奈川県弘明寺駅のアパートから都内の工業高校に通っていた。
と言うのも母親が赤痢に罹ってしまったため、当分の間面会謝絶で家族でさえも直接会うことはきない。ガラス越しに力なく手を振る母親が痛ましくみえた。
私の就職先は都内だ。高校への通学も90分以上かかり、かなり大変な思いをした。
それがずっと続くのは嫌だ。さすがに就職時は都内に引っ越したいのだ。
もちろん、実家に帰って母親と住むのが一番だが、公営住宅の家は狭く自分の部屋もない。就職すればスーツで出勤となり、革靴も必要だ。
どう考えても収納が物理的に不足するのだ。
しかし、引っ越すにはお金がかかる。
バイトするしかないのだ。
姉夫婦には既に弘明寺のアパート代をずっと払ってもらっている。都内に引っ越すための資金を都合してくれとはとても言えない。
かといって隔離中の母親に相談できるはずもない。
--読者諸君は言うだろう--
・なんだお涙ちょうだいか?
・24時間TVみたいだ止めとけ
そのとおりだ。あなたは正しい。
だがそれは杞憂だ。私のBlogはそんな底の浅いものではない。
いいから最後まで読んどけ。
こんな状況でも私はなんの心配もしていなかった。
私はバイトが好きだからだ。中学2年の新聞配達から始まって、数々のバイトをこなしている。バイトの達人だ。バイト王なのだ。バイク王ではない。
印象深いバイトと言えば、かつて京浜急行川崎駅のガード下にあった『レストラン・ポルカ』だ。(もしかしたら少し違う名前だったかもしれない)
ここにいたバイトの先輩、ブロンドヘアーのY崎さんは忘れることができない。Y崎さんは当時22~23才の男性だ。
その辺のくだりはまた別途述べたい。
私は前回の錦糸町バイトを終えてから『レストラン・ポルカ』でバイトをしていたが、このままバイトを継続しても10万円くらいは不足しそうだとわかった。
バイトの先輩、ブロンドヘアーのY崎さんのアドバイスによって、初任給をもらうまでの間の生活資金が続かないことが判明したのだ。会社でいえば運転資金だ。
これはまずいな思ったが、これ以上バイトを増やすことはできない。体は一つだ
そこに一本の電話がかかってきた。
悪魔からの電話。親戚のオッサンだ。うまい話があると言う
私は話を聞きに行った。
--読者諸君は言うだろう--
・お前2度と近寄らないって言っただろ
・どうせヤバい話だ止めとけ
それはもっともだ。あなたは正しい。
だが、もう選択できる状況ではないのだ。
親戚のオッサン「お前、引っ越したいんだって?なら金要るだろ、ちょっとやってみないか?」
私「あ、何スか?」
どうやら姉がオッサンに相談したようだ。どうもタイミングいいと思ったのだ。
親戚のオッサン「潰れたディスコが六本木にある。そこの内装工事が入る前に使わせてやるから、学生集めて儲けろよ」
オッサンは不動産屋だ。
私「本当っスか?スゲーっすね。でもやったことないし、俺にできっかなー」
親戚のオッサン「なら止めとけ。忘れろ」
しかし、私には他に選択できることはひとつもないことにすぐに気づいた。
私「・・・あー、出来ます、やります、超ーやる気っス!」
当時は「超ーXXX」などと言うのが流行っていた
そのディスコの状況を細かく聞いた。要約するとこうだ。
1.掃除が必要なこと
2.レコードは全部残っていること(当時はMDもCDもない)
3.音響設備は全部使える状態であること
4.飲食物は自前で用意が必要なこと
5.冷蔵庫や製氷機も使える状態であること
6.貸せる日は2週間先の土曜日一晩しかないこと
7.賃料は無料
私の頭の中で7番がこだました。
あくる日の放課後、私はバイトを休んでさっそくディスコを掃除しに行った。
だが、一人で掃除はつらい。広さが教室の4~5倍くらいはあるというのだ。
そこで私は彼女を呼ぶことにした。当時、私には女子高に通う彼女がいたのだ。
彼女は二つ返事で了承した。友人達と渋谷のハチ公の背中側にあるビルのディスコでよく踊っていた。
彼女がディスコ好きであることを私は知っていたのだ。
地下鉄の六本木駅で待ち合わせ。彼女と合流すると、ほどなく親戚のオッサンはジャガーに乗って颯爽と登場した。
愛車をどこぞの駐車場に止めてから親戚のオッサンは私たちをディスコのあるビルまで案内してくれた。
そこは六本木の交差点からごく近い、歩いても4~5分のところにあった。ディスコは地下1階にあった。
鍵を開けて中に入るとムッとした独特のにおいがあったのを覚えている。グラスに敷くコースターや食事用の三角ナプキン、皿などが散乱していたが、店自体はいたってきれいだ。
私達に店の鍵を渡すとオッサンは帰ってしまった。当日まで持っていていいとのことだ。
私「じゃ、始めっか」
彼女は嬉々として掃除を始めた。どうやら普段は見れない内部を見れることが嬉しいようだ。
私はDJブースに行くとレコードを確認した。当時はまだディスコもレコードだったのだ。
ボタン類が至る所にあり、何がなんだかわからなかったが、私は工業高校電気科だ。なんとかなる。
ボタン類の英語をみながら適当にスイッチを切り替えていると電源が入った。
私は目についたマイケル・ジャクソンのビリー・ジーンをかけた。彼女は嬉しそうに言った。
彼女「あたし、もう学年じゅうにディスコの貸し切りパーティーがあるって宣伝しちゃった」
私は思った。もう後戻りはできねーなと。
そして彼女はすでにパー券が売れたという
よく売れたなと思った。実際、私も買えと言われたことは何度もあるが、ない袖は振れない。一度も買ったことはない。
え?どうやって売ったの?・・・と訊きたかったが、でも聞くのは止めた。今回はお化けではないのだ。ちゃんと開催されるのだ。そうだ、開催される、はず・・・、あっ、飲み食いどうしょう、金とっといて飲み食いなしはリンチにあうだろう。普通の学生はまずパー券なんか買わない。
ではどんな層が買うのか?賢明な読書は想像が付くだろう。
私はあわてて、電話で姉に相談した。
姉「めんどくせーわ」
だよなー。そうだよなー。
だけどこっちは命かかってる、ヤベーからと言って、嫌がる姉を説き伏せた。
姉「実費だかんな。お前バックれんなよ」
私の言葉遣いの悪いのは姉の影響だと思う。
これで飲食のめどは立った。あとはパー券を売らねばならない。だが結局、パー券は10数枚しか売れず、赤字は必死と思われた。だが、当たり前だ、パー券は始めから用意してないのだ。
今ならパソコンで簡単に自分で印刷できるたろう、しかし当時は印刷所に頼む必要がある。そんなことは無理だ、金も時間も足りないのだ。
私は自分の学校じゅうにディスコパーティーがあるからとふれ回った。彼女は彼女の友人に頼んで彼氏と一緒に来てくれるよう頼んでくれていた。しかし、パー券はない、信用払いだ。ごく近しい関係の友人以外は当日払いでいいから来てくれと頼み込むのがやっとだった。
かくしてその日はやってきた。
私は親戚のオッサンと姉を待った。何かの手違いで飲食物が届かなかったらと思うと股間がキューッと縮み上がる思いがした。
するとジャガーはスィーっとすべり込むように現れた。
姉「待った?」
私「待ったじゃねーわ、30分おせーわ。」
今、夕方4時半だ。みんなには6時スタートと言ってある。早速、支度に取りかかった。ケンカしている暇はないのだ。
車からどんどん荷物を運び出す。
私「あれ?酒の種類多くないスか?」
親戚のオッサン「みんな高3なんだろ?バーカウンター見たらいろいろ飲ませろっていってくるだろ。卒業前に飲ませてやれよ」
私「うーん、そっスね」
高校生が酒を飲んではいけないことは誰でも承知だ。だが、当時はなんというか卒業記念的な行事ならば許される風潮があった。なら、いいではないかとなりそうだが、問題はその量だ。
一言で言うと飲み過ぎてケンカするやつらが出てくるのが怖いのだ。
この日はいろんな学校の奴らが来て、お互いに顔も知らないことが多い。ただでさえ、気の荒い連中が集まりやすいというか・・・
簡単に言うとヤンキーホイホイのような集まりになる
だが、酒が足りねーってトラぶるリスクもある。ま、ここは出たとこ勝負『人間万事塞翁が馬』ってやつだ。
食い物の準備も急いだ。ピザ、冷製パスタ、サラダ、菓子パン、冷凍チャーハンは大量に解凍して山盛りに大皿に盛り付けてた。ポッキー、フライドポテトポテチなども大量に各テーブルに配置した。
すると入り口の階段がなにやら騒がしい。
なんと、まだスタートまでには30分以上もあるが、すでに人の列が出来ていた。
彼女「ねぇ、もう入れないとまずそう、近所迷惑になってるみたい」
階段に並んだ人垣をすり抜けて地上に出てみて驚いた。なんと30人くらい集まっているのだ。しかし、お行儀は相当良くない連中だ、タバコを吸ってだべっているのだ。なかにはウンコ座りをしているものもいる。
私「ちょっと早いけど入れよう」
私がマイクでかんたんな挨拶をすると全員で乾杯し、宴は始まった。
しばらくDJ役をこなしていたが、私にはもっとも大切な仕事がある。
金を集めなければ今夜の意味がないのだ
私はDJ役をクラスメートに任せると、一人2千円を集金して回った。
みんな気持ちよく払ってくれる。当時のパー券やディスコの入場料より断然安いのだ。飲み喰いも自由だ。文句は出なかった。
心配していたケンカは起こらなかった。きっと親戚のオッサンが仁王立ちしていたからだ。
オッサンのタッパは180を超え、体重もゆうに100キロはありそうだ。そのガタイに着込んだ派手なスーツに薄茶色のメガネ、パンチパーマのいでたちに、きっとヤンキーたちもひるんだに違いない。
だが、オッサンはただの不動産屋(と思う)だ。仕事柄いろんなスジの人と会うので、ファーストインプレッションで負けないための装備とかいってた。装備ってTVゲームかよ
最終的に50人以上居たはずだ。60人以上かもしれない。私は悔しかった。集金漏れが確実だったからだ。
あたりまえだ。だれが誰だかわからないのだ。目の前にいる学生から集金済みかどうかはもう、わからないのだ。特に彼女のグループはさっぱりわからない。
なぜかというと彼女のグループはまとめて彼女に払っていたからだ
彼女は悪くない。集金システムがないことが悪いのだ。彼女のグループは何人分ね、といって彼女に渡す。だが、そのときは正しい人数分わたしているが、あとから遅れて紛れたヤツが誰なのかわからないのだ。
金を数えると確か8万くらいしかなかったと思う
これは誰も悪くないのだ。仕方ない。飲み喰いの仕入れ分をさっ引くと新生活の運転資金にはだいぶ足りないが、今夜はこれでよしとしよう。
お決まりのアンコールタイムにいくつか曲をながしてお開きとなった。
やっぱり具合が悪くなって戻したりしているヤツがいたが、そんなの知るか。そいつのグループに引き取らせて追い出した。
終わってみると清々しい。なんかやり切った感があった。
オッサン「お前なかなかやるな、よくあんなに集めたな」
私「半分は彼女ですよ、あんな集めてくるとは思わなかったッス」
姉「ホント、びっくり、メッチヤ疲れた、後はお前掃除な」
私「うぃーっス」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、飲み食いの金を払いに姉の家に行った。
姉「あー、それな。オッサンがいいって、あんな集まって、なんか感動したってよ」
私「ええー、マジ?マジ?」
姉「礼言っとけ」
私は早速オッサンに電話した。
私「あ、俺です、ねーちゃんに聞いたんスけど、あの金、ホントいいんスか?4~5万かかってますよね?」
オッサン「おっ、いいよいいよ、就職祝な」
私「なんか申し訳ないスよ、この間もメシ驕ってもらってるし」
オッサン「そんな気にすんなよ、だけどちょっとアパートの件な、おれに任せろ」
私は3月中に弘明寺のアパートを引き払って、都内のアパートを借りなければならない。だが、1月も終わるというのに、まだ探せていなかった。
私「え、そんなことまで頼んじゃっていんスか?なんか悪いスよ」
オッサン「いんだいんだ、逆にこっちが頼んでんだ、6畳2間で2万6千円、京浜蒲田5分、風呂はないけど銭湯まで歩いて3分の好物件だ、なかなか出ないぞ、決めていーか?」
私「6畳2間もあるんスか、いっスね、じゃお願いします」
私はこのとき人生の大きな教訓を学んだ。物件は必ず見てから決めるという教訓を
翌月、免許を取った友人に頼んでトラックを手配してもらい引っ越しをした。
住所を頼りにアパートを探すとほどなく見つかった。
私の部屋は1階の北向きのようだ。これでは陽は入りそうもない。
借りた部屋のドアをあけると左手に小さな台所、そして3畳間が目に入った。さらに右手を見ると襖があるので開けてみると、やはり3畳間だった。
私「そっか、あわせて6畳間なんだな」
友人「6畳2間なんだろ、あとの6畳はよ?」
部屋はこれだけだった。
もしかしたらオッサンが部屋番間違えたなと思い、電話した。
私「あっ、俺っす。あの部屋番間違ってないスかね、入ったら6畳しかない部屋なんで」
オッサン「いや、その部屋だ、あってる。6畳が2間だろ?」
私「いや、6畳が1間しかないス」
オッサン「だから!2間になってるだろ?6畳が!」
私「・・・」
私は人生で始めて殺意を覚えた。
もちろん、火に油をそそぐかのように笑いころげる友人にもだ。
要は6畳が2間あるのではなく、2間になるよう襖で仕切られている6畳間だったのだ。
そうか、「逆にこっちが頼んでんだ」の意味がわかった、これ捌けない物件できっと困っていたのだ。
私はもう一度、6畳2間について考えた。
そしてじっと耐えてひとつの言葉を噛みしめた。
『事実はない。あるのは解釈だけだ』(フリードリヒ・ニーチェ)
(…次回『(第3話)男泣き?Y崎先輩 』に続く)