Tubakka’s blog

初老オヤジの青春時代の実話体験談。毎話読み切り。暇で暇でしょうがない時にお勧め。

(第6話)宇宙服?家じゅう真っ白、粉だらけ

半田市・防護服を着用して活動する救急隊。 当ブログの内容とは関係ありません。

前回のブログで触れたので母が赤痢に罹った件について話そうと思う
⇒『6畳2間?2万6千円』
ある日、私がバイトから帰ってくると近所に住む友人とすれ違った
するとそいつが振り向いて言った

友人「なんかお前ん家のほうで白い服着た人が粉みたいなの撒いてたぞ」

なんだそれ?という気持ちでアパートの前まで来ると白い宇宙服のようなものを着た人が2~3人いた。彼らは家の中や外にまで白い粉のようなものを手に持った器械で噴霧していた

見たこともない光景にボケッとしていると一人近づいてきたv
防護服の人「君、この家の子?」
私「…そうです」

防護服の人達は全員私を見た

 

防護服の人「君ね、すぐに病院で検査するから」

 

土足で入つた家の中をさんざん粉をまき散らした後、私は強制連行のように病院に連れていかれ、何かの検査を受けた

訊くと母は赤痢に罹っていて重い法定伝染病だという
そういえば何日か前から下痢が続いていると言っていた
医者は私も当然かかっている前提で最新の注意をはらって検査したが、なんと私は罹っていないことが分かった

医者「君、おかあさんの作ったご飯を食べてたんだろ?」
私「あ、そうです。」
医者「奇跡じゃないか」
看護婦「本当ですね…」

私はここで運を使い果たしたのかもしれない
何はともあれ、母に会いに行くとガラス越しに力なく手を振る母が哀れだった
どうも羽田空港の清掃の仕事の最中に素手で触ったものに細菌がついていたのではないかということだった

私「何日で退院できるんですか?」
医者「何日?いやいや少なくとも2~3週間か、もっとかかることもあるよ。お母さんは症状が重いから」

 

うっそーーーん!飯とか洗濯とかやべーって!!

 

こうなると姉に頼らざるをえない
そそくさと姉に電話して窮状を訴えた

姉「マジかー?病院どこ?」

当然母の心配が先だったが、私はこれからの生活について切々と訴えた

姉「うーん、考えとくわ」

翌日、姉からこっちでアパート借りるから荷物をまとめておけと言う。姉の家は神奈川県の弘明寺駅だから蒲田からはだいぶ遠い

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

義兄の車でアパートに着いた。私の部屋は1Kで2階の角だった
キッチンの窓からは見晴らしも良く、遠くには大岡川が見えた

姉「ダチ連れ込んで騒ぐんじゃねぇぞ」
私「こんなとこまで来るヤツいねってば」

そして私の地獄の通学が始まった。高校は都内の港区だから90分もかかるのだ
だが、そんなことが吹き飛ぶくらい大変なことに気がついた
通学定期とはいえあまりにも定期代が高いのだ

今までは蒲田から乗って6ヶ月で数千円くらいだったが、京浜急行弘明寺駅からだと2万円以上かかった
私が月にもらう生活費ではとても足りない
しかし、母も姉もカツカツのなか、足りないとはとても言えない

私は「どうしよう!」と思った

私は一晩考えた
通学定期を高校の最寄駅から都営線三田駅まで買い、京急井土ヶ谷駅から弘明寺駅までのひと駅は通勤定期を買うという分割作戦だ
これだと定期代を1/4くらいに押さえることが出来た
この方法はSuicaのような電子定期券になった今では出来ない作戦だ。もちろん、違法であり悪いことだと知っていた。だが、生きていくためにはこれしかないと思った

翌日、腹をくくって定期券を買いに行った

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

京急駅員「はいどうぞ」
私「あ、はい」

なんということは無い
普通に通勤定期で隣の井土ヶ谷まで買っただけだ。
問題は京急から直通で乗り入れる都営線

私「御成門から三田駅までください」
都営駅員「学生証を見せて」
私「あ、はい」
都営駅員「ん?住所は蒲田だね」
私「あ、まだ住所変更の学校の手続きが済んでいなくて。すいません」
都営駅員「しょうが無いな、早く済ませてね」
私「はい、ありがとうございます」

私は買えた喜びに胸が躍った。これで当面は通学できる。
半年あれば、さすがに母も退院して仕事にも復帰しているだろう
私は安堵感に浸った

しかし、それは束の間の安堵感だと後に知った


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ある日の放課後、高校を出るとばったりテニス部のT川とすれ違った。T川はダブルスを組む後衛の選手だ。

T川「最近部活来ねーじゃんよ」
私「わりぃ、お袋が赤痢になってよぉ、大変なんだよー」

少し事情を話すとT川はわかってくれた

T川「でも、次の大会には必ず出てくれよな」
私「わかった!必ずな」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


退院が近づいた頃、母が信仰している宗教のお偉いさんが母の見舞いに来たらしい
ガラス越しに母の病状を見て、いたく心配されたらしく一計を案じてくれたと聞いた
ようやく面会謝絶の措置も終わり、会って話すことができるようになったある日、宗教のお偉いさんがまた面会にきた

宗教のお偉いさん「恢復されて何よりです。今日はお話があってやってきました」

話の内容を掻い摘まんで言うとこうだ
公団住宅に申込んだ
・抽選だけどあたるから大丈夫
・XX先生に相談してある

このXX先生というのは政治家だという
今となってはこのXX先生が誰だったのかはわからない
私はもの心つく頃から両親が宗教に入っており、とても嫌だったし、私自身はこれまで一度たりとも宗教に入ったことはない。

ほどなくして今回はなぜか公団に当たったと連絡が来た
いや「なぜ」かはわかっている。XX先生の力だろう

公団住宅は初期費用も更新料もないことに加え、家賃が安いことが魅力だ
母は以前から公団住宅に申し込んでいたが、いつも抽選から外れていたから飛び切り喜んだ
そして、いたく感謝した母は生涯にわたり信仰を続けることになった

私「へぇー、公団に住めるのか。引っ越しいつ頃かな?」
姉「お前は当分ココ」
私「え?」
姉「公団な、1DKだってよ」
私「え?狭くね?なんでよ」
姉「公団の申込みな、人づてで事務員がやってな、1DKで申し込んだんだと」
私「えーーー?酷くねーーーー!!」
姉「諦めな、お母ちゃん、もうサインしたしな」

私はアパートへの帰り道、しょぼくれて歩いた
母にとっては憧れの公団住まい、というより魅力的な低家賃が息子と暮らす生活にまさったのだろう
私は打ちひしがれた。長い通勤時間がまた続くかと思うと寒気がした
そして「あっ」と思った

 

私「やばい、次の定期券どうしよう」

 

そう、またやってくる定期券の問題が頭をもたげた


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


そして、その日はやって来た

私「御成門から三田駅までください」
都営駅員「学生証を見せて」
私「あ、はい」
都営駅員「ん?住所は蒲田だね」
私「あ、まだ学校の住所変更の手続きが済んでいなくて。すいません」

都営駅員は怪しんだ。そう、前回と同じ駅員だ。訝しんでいる
だが、私は対策をしていた。私の通う工業高校は制服がなく私服による通学がOKだ
だから前回は私服で定期を購入していた。今回はわざわざ詰襟学生服を着込んでいた

都営駅員「もしかして2回目かな?」
私「いえ、初めてです」
都営駅員「…」

私を見つめる眼は「いや、2回目だよね?」と言っている
私は目をそらさずに見つめ返した

私「…」
都営駅員「…、そう。早く住所変更してね」
私「はい、わかりました」

よしっ、これで何とか卒業まではこぎ着けた
安堵すると、ぶぁっと汗が噴き出した
一気に体の力が抜けるのを感じた


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


その後、高校生活は順調に続いた

通学は遠いし、通学帰りのレストランポルカ『男泣き?Y崎先輩』参照 )でのバイトもありと忙しい毎日だった
そんななか、私はT川との約束を守るべくテニス部に復帰した

中学では、N坂とダブルスのコンビを組んで私は前衛、N坂は後衛を担当していた
テニスは中学の頃から続けていた( 『俺が先生?地獄のほふく前進』参照)

N坂は都内の私立高校でテニス部に所属しており、次の公式戦で勝ち進めば対戦できる可能性があることを知った
そうはいっても、ふだん全然練習も足りてないし、そんなことは無いだろうと思っていた

そんなことをT川に話した

 

T川「マジか、じゃー勝ち上がって対戦してやろうぜ」
私「いやー、無理だろー、2回戦で巣鴨だからな」

当時、巣鴨高校はテニスでは全国大会の常連で、雲の上の選手を大勢抱えていた

T川「ちょっとバイト減らせよ、やるだけやろーぜ」

バイトを減らすことは出来ない事情があると言うと、土日でバイトのない日に練習しようと言う
その熱意に打たれて、私は休日のたびに長時間電車に揺られながら高校のテニスコートに通った
朝から夕方まで、二人っきりの練習は続いた


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


T川「いよいよだな…」
私「あぁ」

試合会場は巣鴨高校だった
私たちの第1試合が始まった

順調に得点を重ねていき、特にこの日は前衛の私のボレーがよく決まった
最後はT川のスマッシュで試合に勝った
次はいよいよ巣鴨

私たちの第2試合が始まった
案の定、巣鴨選手のレベルは高く足下にも及ばなかった
巣鴨のサーブは鋭く早い。コーナーぎりぎりにサービスエースを決められた
さらに、こちらがサーブをすればリターンエースをちょくちょく決められた
なんと私たちはまったく得点できないのだった

それでも私はふと思った。巣鴨の後衛のリターンは決まったコースによく飛んでくることを
私はボールの軌道に立ちふさがりボレーを決めた!

…っと思った瞬間、巣鴨の後衛がその球を打ちし、T川は拾うことが出来なかった
最後まで私たちはまったく得点できないまま試合は終わった


巣鴨からの帰り道私はT川に訊いてみた
私「前衛と後衛、交代してやってみないか?」
T川「…」

T川は何も言わなかった
無言のまま、その日は帰路についた


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


次のテニス部の練習に行った
T川の姿が見えない。いつもは真っ先にコートの準備をしているのに今日は遅いなと思った
私は後輩に訊いてみた

私「おい、T川まだか?」
後輩「いえ、わかりません。今日は見てないです」

私はT川の教室に行って見た。T川とはクラスが別だった
教室に残っていた生徒に訊いてみた

私「あ、ごめん、T川知らない?」
生徒「T川?あいつずっと欠席してるよ」
私「え?いつから?」
生徒「3年になって少ししてからかな。けど、その前から学校来ても屋上でRCとか聞いていつもサボってたぜ」

 

-- トランジスタ・ラジオ -- T川はいつもRCサクセショントランジスタ・ラジオを聞いていたらしい。歌詞はこうだ ・Woo授業をサボッて ・陽のあたる場所にいたんだよ ・寝転んでたのさ 屋上で ・たばこのけむり とても青くて…( RCサクセション

私「えぇー、そのなの」
生徒「あぁ、サボってんなら学校何しに来てんだって訊いたら、テニスっつってたぜ」
私「えっ、マジで??」
生徒「最近はもっとひでーよ、そもそも放課後、テニスだけやりに来てたぜ、笑っちゃうよな、変なヤツ」

私は雷に打たれたように机に手を付いた。T川はテニスだけをやりに学校に来ていた。それほどテニスが好きで私とダブルスを組んで試合に臨んでいたのだ
私は強い後悔に苛まされた

 

私「何であんなこと言っちゃったんだろう」

 

それ以来、T川はテニス部にも学校にも来なくなってしまった

「前衛と後衛、交代してやってみないか?」と言われたことが、よほどショックだったに違いない。そもそも二人とも実力が足りないのであって前衛と後衛を交代したところで結果は変わらなかったはずだ。それを私は、さもT川に責任があるような言い方をした

私は激しく後悔した

3年生のテニス部員が自分しかいなくなったことよりも、心底わかり合えていると思っていた自分が情けなく、莫逆の友にはほど遠い関係に為ってしまったことを心から悔やんだ

 

--莫逆の交わり--

荘子』の大宗師篇に由来する。子祀(しし)と子与(しよ)と子犂(しり)と子来(しき)の四人が話し合った。 「無を頭とし、生を背とし、死を尻とすることのできるような者はいないだろうか。つまり、死生、存亡(有無)、が一体であることを知っているようなものはいないだろうか。そういう者と友だちになりたいものだ」
四人は顔を見合わせて笑った。そして何のわだかまりもなく、その場で友だちになった

<四人相(あい)視(み)て笑う。心に逆らうこと莫(な)く、遂に相(あい)与(とも)に友と為る>

駒田信二『中国故事 はなしの話』P116

 

(…次回『(第7話)男子ダメ?ポケットティッシュ 』に続く)

tubakka.hateblo.jp