Tubakka’s blog

初老オヤジの青春時代の実話体験談。毎話読み切り。暇で暇でしょうがない時にお勧め。

(第2話)6畳2間?2万6千円

「富山 AREA-1」というディスコの風景。 当ブログの内容とは関係ありません。

このBlogは前回の続きだ。
先にコチラを読むと話がスッと入るはずだ。

⇒『違法なバイト?大人への階段』

前回、私は就職のために部屋を借りるお金が必要だといった。
元々私は大田区で母親と一緒に住んでいたが、事情があって姉の嫁ぎ先に近い神奈川県弘明寺駅のアパートから都内の工業高校に通っていた。

と言うのも母親が赤痢に罹ってしまったため、当分の間面会謝絶で家族でさえも直接会うことはきない。ガラス越しに力なく手を振る母親が痛ましくみえた。

 

--赤痢--
赤痢は法定伝染病の一種、そうとうヤバいやつだ。
当然私も感染を疑われ、一時隔離されて検査を受けたが不思議なことに陰性だった。退院までは1週間や10日どころではないと言われ、また退院してもすぐに動けるかどうかわからないからと、姉夫婦が心配してアパートを用意してくれたのだ。なんで赤痢に罹ったのかなど、この辺のいきさつは、またいつか述べようと思う。

 

私の就職先は都内だ。高校への通学も90分以上かかり、かなり大変な思いをした。
それがずっと続くのは嫌だ。さすがに就職時は都内に引っ越したいのだ。

もちろん、実家に帰って母親と住むのが一番だが、公営住宅の家は狭く自分の部屋もない。就職すればスーツで出勤となり、革靴も必要だ。

どう考えても収納が物理的に不足するのだ。
しかし、引っ越すにはお金がかかる。

バイトするしかないのだ。
姉夫婦には既に弘明寺のアパート代をずっと払ってもらっている。都内に引っ越すための資金を都合してくれとはとても言えない。
かといって隔離中の母親に相談できるはずもない。

 

--読者諸君は言うだろう--
・なんだお涙ちょうだいか?
・24時間TVみたいだ止めとけ
そのとおりだ。あなたは正しい。
だがそれは杞憂だ。私のBlogはそんな底の浅いものではない。
いいから最後まで読んどけ。

 

こんな状況でも私はなんの心配もしていなかった。
私はバイトが好きだからだ。中学2年の新聞配達から始まって、数々のバイトをこなしている。バイトの達人だ。バイト王なのだ。バイク王ではない。

印象深いバイトと言えば、かつて京浜急行川崎駅のガード下にあった『レストラン・ポルカ』だ。(もしかしたら少し違う名前だったかもしれない)
ここにいたバイトの先輩、ブロンドヘアーのY崎さんは忘れることができない。Y崎さんは当時22~23才の男性だ。
その辺のくだりはまた別途述べたい。

私は前回の錦糸町バイトを終えてから『レストラン・ポルカ』でバイトをしていたが、このままバイトを継続しても10万円くらいは不足しそうだとわかった。
バイトの先輩、ブロンドヘアーのY崎さんのアドバイスによって、初任給をもらうまでの間の生活資金が続かないことが判明したのだ。会社でいえば運転資金だ。

これはまずいな思ったが、これ以上バイトを増やすことはできない。体は一つだ
そこに一本の電話がかかってきた。

 

悪魔からの電話。親戚のオッサンだ。うまい話があると言う

 

私は話を聞きに行った。

 

--読者諸君は言うだろう--
・お前2度と近寄らないって言っただろ
・どうせヤバい話だ止めとけ
それはもっともだ。あなたは正しい。
だが、もう選択できる状況ではないのだ。

 

親戚のオッサン「お前、引っ越したいんだって?なら金要るだろ、ちょっとやってみないか?」
私「あ、何スか?」

どうやら姉がオッサンに相談したようだ。どうもタイミングいいと思ったのだ。

親戚のオッサン「潰れたディスコが六本木にある。そこの内装工事が入る前に使わせてやるから、学生集めて儲けろよ」
オッサンは不動産屋だ。

私「本当っスか?スゲーっすね。でもやったことないし、俺にできっかなー」
親戚のオッサン「なら止めとけ。忘れろ」

しかし、私には他に選択できることはひとつもないことにすぐに気づいた。

私「・・・あー、出来ます、やります、超ーやる気っス!」
当時は「超ーXXX」などと言うのが流行っていた

そのディスコの状況を細かく聞いた。要約するとこうだ。
1.掃除が必要なこと
2.レコードは全部残っていること(当時はMDもCDもない)
3.音響設備は全部使える状態であること
4.飲食物は自前で用意が必要なこと
5.冷蔵庫や製氷機も使える状態であること
6.貸せる日は2週間先の土曜日一晩しかないこと
7.賃料は無料


私の頭の中で7番がこだました。
あくる日の放課後、私はバイトを休んでさっそくディスコを掃除しに行った。
だが、一人で掃除はつらい。広さが教室の4~5倍くらいはあるというのだ。

そこで私は彼女を呼ぶことにした。当時、私には女子高に通う彼女がいたのだ。
彼女は二つ返事で了承した。友人達と渋谷のハチ公の背中側にあるビルのディスコでよく踊っていた。
彼女がディスコ好きであることを私は知っていたのだ。

地下鉄の六本木駅で待ち合わせ。彼女と合流すると、ほどなく親戚のオッサンはジャガーに乗って颯爽と登場した。

ジャガーXJ シリーズⅢ 1979・ジャガー(英: Jaguar)は、イギリスの高級車メーカーである。現在はランドローバーとともに、インドのタタ・モーターズ傘下に属し「ジャガーランドローバー」を構成する。

愛車をどこぞの駐車場に止めてから親戚のオッサンは私たちをディスコのあるビルまで案内してくれた。
そこは六本木の交差点からごく近い、歩いても4~5分のところにあった。ディスコは地下1階にあった。

鍵を開けて中に入るとムッとした独特のにおいがあったのを覚えている。グラスに敷くコースターや食事用の三角ナプキン、皿などが散乱していたが、店自体はいたってきれいだ。
私達に店の鍵を渡すとオッサンは帰ってしまった。当日まで持っていていいとのことだ。

私「じゃ、始めっか」

彼女は嬉々として掃除を始めた。どうやら普段は見れない内部を見れることが嬉しいようだ。
私はDJブースに行くとレコードを確認した。当時はまだディスコもレコードだったのだ。

ボタン類が至る所にあり、何がなんだかわからなかったが、私は工業高校電気科だ。なんとかなる。
ボタン類の英語をみながら適当にスイッチを切り替えていると電源が入った。
私は目についたマイケル・ジャクソンのビリー・ジーンをかけた。彼女は嬉しそうに言った。

彼女「あたし、もう学年じゅうにディスコの貸し切りパーティーがあるって宣伝しちゃった」

私は思った。もう後戻りはできねーなと。

 

そして彼女はすでにパー券が売れたという

 

--パー券--
パーティー券のこと。当時は不良学生の間でパーティー券の販売が横行した。その中には実際はパーティーは開催されず、単に買わされるだけの恐喝まがいのものも多かった。そういったパーティー券は「お化け」と呼ばれ、忌み嫌われていた。

 

よく売れたなと思った。実際、私も買えと言われたことは何度もあるが、ない袖は振れない。一度も買ったことはない。
え?どうやって売ったの?・・・と訊きたかったが、でも聞くのは止めた。今回はお化けではないのだ。ちゃんと開催されるのだ。そうだ、開催される、はず・・・、あっ、飲み食いどうしょう、金とっといて飲み食いなしはリンチにあうだろう。普通の学生はまずパー券なんか買わない。
ではどんな層が買うのか?賢明な読書は想像が付くだろう。

 

私はあわてて、電話で姉に相談した。

姉「めんどくせーわ」

だよなー。そうだよなー。
だけどこっちは命かかってる、ヤベーからと言って、嫌がる姉を説き伏せた。

姉「実費だかんな。お前バックれんなよ」
私の言葉遣いの悪いのは姉の影響だと思う。

 

これで飲食のめどは立った。あとはパー券を売らねばならない。だが結局、パー券は10数枚しか売れず、赤字は必死と思われた。だが、当たり前だ、パー券は始めから用意してないのだ。

今ならパソコンで簡単に自分で印刷できるたろう、しかし当時は印刷所に頼む必要がある。そんなことは無理だ、金も時間も足りないのだ。
私は自分の学校じゅうにディスコパーティーがあるからとふれ回った。彼女は彼女の友人に頼んで彼氏と一緒に来てくれるよう頼んでくれていた。しかし、パー券はない、信用払いだ。ごく近しい関係の友人以外は当日払いでいいから来てくれと頼み込むのがやっとだった。

 

かくしてその日はやってきた。

私は親戚のオッサンと姉を待った。何かの手違いで飲食物が届かなかったらと思うと股間がキューッと縮み上がる思いがした。

するとジャガーはスィーっとすべり込むように現れた。
姉「待った?」
私「待ったじゃねーわ、30分おせーわ。」

今、夕方4時半だ。みんなには6時スタートと言ってある。早速、支度に取りかかった。ケンカしている暇はないのだ。
車からどんどん荷物を運び出す。

 

私「あれ?酒の種類多くないスか?」
親戚のオッサン「みんな高3なんだろ?バーカウンター見たらいろいろ飲ませろっていってくるだろ。卒業前に飲ませてやれよ」
私「うーん、そっスね」

高校生が酒を飲んではいけないことは誰でも承知だ。だが、当時はなんというか卒業記念的な行事ならば許される風潮があった。なら、いいではないかとなりそうだが、問題はその量だ。
一言で言うと飲み過ぎてケンカするやつらが出てくるのが怖いのだ。
この日はいろんな学校の奴らが来て、お互いに顔も知らないことが多い。ただでさえ、気の荒い連中が集まりやすいというか・・・

 

簡単に言うとヤンキーホイホイのような集まりになる

 

だが、酒が足りねーってトラぶるリスクもある。ま、ここは出たとこ勝負『人間万事塞翁が馬』ってやつだ。

 

--『にんげん』と読んだあなたへ--
人間万事塞翁が馬』は『にんげん』と読んでいるが、中国語の意味から紐解くと「にんげん」という意味ではないらしい。漢語(≓中国語)では「人間」と書いたら「にんげん」という意味にはならず、「にんげん」という意味の言葉を表すときは『人』と書くらしい。では「人間」とはどういう意味になるかというと現代語でも古語でも「世間」「俗世間」「社会」という意味になるという。従って「にんげんの吉凶禍福は…」という意味ではなく「ひとの世の吉凶禍福は…」という意味が正しいそうだ。
-『駒田信二先生著:文藝春秋1981年初版 中国故事 はなしの話』より

 

食い物の準備も急いだ。ピザ、冷製パスタ、サラダ、菓子パン、冷凍チャーハンは大量に解凍して山盛りに大皿に盛り付けてた。ポッキー、フライドポテトポテチなども大量に各テーブルに配置した。

すると入り口の階段がなにやら騒がしい。
なんと、まだスタートまでには30分以上もあるが、すでに人の列が出来ていた。

彼女「ねぇ、もう入れないとまずそう、近所迷惑になってるみたい」

階段に並んだ人垣をすり抜けて地上に出てみて驚いた。なんと30人くらい集まっているのだ。しかし、お行儀は相当良くない連中だ、タバコを吸ってだべっているのだ。なかにはウンコ座りをしているものもいる。

私「ちょっと早いけど入れよう」

私がマイクでかんたんな挨拶をすると全員で乾杯し、宴は始まった。
しばらくDJ役をこなしていたが、私にはもっとも大切な仕事がある。

 

金を集めなければ今夜の意味がないのだ

 

私はDJ役をクラスメートに任せると、一人2千円を集金して回った。
みんな気持ちよく払ってくれる。当時のパー券やディスコの入場料より断然安いのだ。飲み喰いも自由だ。文句は出なかった。
心配していたケンカは起こらなかった。きっと親戚のオッサンが仁王立ちしていたからだ。

オッサンのタッパは180を超え、体重もゆうに100キロはありそうだ。そのガタイに着込んだ派手なスーツに薄茶色のメガネ、パンチパーマのいでたちに、きっとヤンキーたちもひるんだに違いない。
だが、オッサンはただの不動産屋(と思う)だ。仕事柄いろんなスジの人と会うので、ファーストインプレッションで負けないための装備とかいってた。装備ってTVゲームかよ

 

最終的に50人以上居たはずだ。60人以上かもしれない。私は悔しかった。集金漏れが確実だったからだ。
あたりまえだ。だれが誰だかわからないのだ。目の前にいる学生から集金済みかどうかはもう、わからないのだ。特に彼女のグループはさっぱりわからない。
なぜかというと彼女のグループはまとめて彼女に払っていたからだ

彼女は悪くない。集金システムがないことが悪いのだ。彼女のグループは何人分ね、といって彼女に渡す。だが、そのときは正しい人数分わたしているが、あとから遅れて紛れたヤツが誰なのかわからないのだ。

 

金を数えると確か8万くらいしかなかったと思う

 

これは誰も悪くないのだ。仕方ない。飲み喰いの仕入れ分をさっ引くと新生活の運転資金にはだいぶ足りないが、今夜はこれでよしとしよう。

お決まりのアンコールタイムにいくつか曲をながしてお開きとなった。

やっぱり具合が悪くなって戻したりしているヤツがいたが、そんなの知るか。そいつのグループに引き取らせて追い出した。

終わってみると清々しい。なんかやり切った感があった。

オッサン「お前なかなかやるな、よくあんなに集めたな」
私「半分は彼女ですよ、あんな集めてくるとは思わなかったッス」
姉「ホント、びっくり、メッチヤ疲れた、後はお前掃除な」
私「うぃーっス」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

翌日、飲み食いの金を払いに姉の家に行った。
姉「あー、それな。オッサンがいいって、あんな集まって、なんか感動したってよ」
私「ええー、マジ?マジ?」
姉「礼言っとけ」


私は早速オッサンに電話した。
私「あ、俺です、ねーちゃんに聞いたんスけど、あの金、ホントいいんスか?4~5万かかってますよね?」
オッサン「おっ、いいよいいよ、就職祝な」
私「なんか申し訳ないスよ、この間もメシ驕ってもらってるし」
オッサン「そんな気にすんなよ、だけどちょっとアパートの件な、おれに任せろ」

私は3月中に弘明寺のアパートを引き払って、都内のアパートを借りなければならない。だが、1月も終わるというのに、まだ探せていなかった。

私「え、そんなことまで頼んじゃっていんスか?なんか悪いスよ」
オッサン「いんだいんだ、逆にこっちが頼んでんだ、6畳2間で2万6千円、京浜蒲田5分、風呂はないけど銭湯まで歩いて3分の好物件だ、なかなか出ないぞ、決めていーか?」
私「6畳2間もあるんスか、いっスね、じゃお願いします」

 

私はこのとき人生の大きな教訓を学んだ。物件は必ず見てから決めるという教訓を

 

翌月、免許を取った友人に頼んでトラックを手配してもらい引っ越しをした。
住所を頼りにアパートを探すとほどなく見つかった。
私の部屋は1階の北向きのようだ。これでは陽は入りそうもない。
借りた部屋のドアをあけると左手に小さな台所、そして3畳間が目に入った。さらに右手を見ると襖があるので開けてみると、やはり3畳間だった。

私「そっか、あわせて6畳間なんだな」
友人「6畳2間なんだろ、あとの6畳はよ?」

部屋はこれだけだった。
もしかしたらオッサンが部屋番間違えたなと思い、電話した。

私「あっ、俺っす。あの部屋番間違ってないスかね、入ったら6畳しかない部屋なんで」
オッサン「いや、その部屋だ、あってる。6畳が2間だろ?」
私「いや、6畳が1間しかないス」

 

オッサン「だから!2間になってるだろ?6畳が!」

 

私「・・・」

私は人生で始めて殺意を覚えた。
もちろん、火に油をそそぐかのように笑いころげる友人にもだ。
要は6畳が2間あるのではなく、2間になるよう襖で仕切られている6畳間だったのだ。
そうか、「逆にこっちが頼んでんだ」の意味がわかった、これ捌けない物件できっと困っていたのだ。

私はもう一度、6畳2間について考えた。
そしてじっと耐えてひとつの言葉を噛みしめた。

 

『事実はない。あるのは解釈だけだ』(フリードリヒ・ニーチェ)

 

 

(…次回『(第3話)男泣き?Y崎先輩 』に続く)

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(第1話)違法なバイト?大人への階段

新潟県燕市の純喫茶ロンドンのテーブルゲーム機。 現役で稼働中とのこと。当ブログの内容とは関係ありません。

昭和の終わり頃、当時、高校3年生だった。
夏休みに稼ぎたいと思っていたのでバイトを探していた。

 

しばらくすると親戚のオッサンがいいバイト紹介するっていうんで話をきいた。
その頃のバイトの時給はせいぜい500~600円程度だった。
だから喫茶店で時給1,000円というのは破格だ。即OKした。
さすが親戚のオッサンが紹介するバイトは違うなーと嬉しかったのを覚えている。

 

…と、喜んだのはココまで。
次第に高時給の謎が解けていく…。

 

バイト初日、東京は錦糸町にある小さなビルをエレベーターで昇ると、その店はあった。
こじんまりとしていて質素な作り。
客席のテーブルはビデオゲームのできるタイプのもので、当時の喫茶店ではインベーダーゲームなどができるテーブルは珍しくない。

 

「ん?トランプゲーム?」ジャンル的に古くね?

と言うのも当時は確か格闘ゲームとかが流行ってて、トランプなんて子供も遊んでねーわって感じだ。

マスター「あ、紹介の子?」
私「ええ、そうです、XXさんの紹介で来ました」
マスター「うん、わかった、助かるよ、急に辞めるヤツがいて困ってたんだよ」
私「よろしくお願いします」

 

しばらく接客の仕方やコーヒーの淹れ方などの作法を教わると、この店で絶対に口外してはならないことを教わる。

 

マスター「でさ、xxさんの紹介だから信用してるから、大事なこと教えるね」
私「はい」…ん?店の鍵とか??
マスター「両替の金なんだけどさ、金庫にはないから」と言って店の奥にある小さな金庫を開けて見せた。

その中には100束以上の千円札の束があって、束の両端だけが本物で間に入ったお札は偽物だと。

マスター「本物はこっちね」
と言って冷蔵庫の野菜室の奥、たんまりある千円札の束を見せた。
私「…」

こっちがあっけに取られていると
マスター「あれ?xxさんから聞いてないの?」
私「え?…特に何も。喫茶店のバイトとしか…」
マスター「そっかー、でも基本的には喫茶店のバイトだよ、ちょっと両替があるだけ」

 

説明を聞いてようやく理解した。
要するにここは違法なゲーム賭博喫茶だったのだ。
トランプのポーカーゲームで客がゲームに勝つとクレジットの数字が増えていき、負けるとお金が減っていくという単純なものだ。

だが、ポーカーの役でロイヤルストレートフラッシュとかが出ると何10倍か、何100倍とかになるため熱くなる客がいるんだと。
このゲーム機は千円札を入れるタイプで、客から万札の両替をしょっちゅう頼まれるから、そこんとこよろしくってことだ。

 

マスター「あと、コーヒーとかサンドイッチの軽食とか、みんな無料だからな」
私「え?お金とらないんですか?」
マスター「ああ、取るのはタバコ代だけだから」

 

これ、まずいんじゃねぇの?
テキトーこいて辞めるっきゃねーわ
・・・って思ったその時、いかつい角刈りのオッサンが入ってきた。

 

角刈りのオッサン「おはようさん」
マスター「あ、おはようございます」
角刈りのオッサン「この子、xxの紹介の?」
マスター「そうです、今日からです」
角刈りのオッサン「そうか、よろしゅうたのむぞ」
私「あ、はい」

 

角刈りのオッサンは店のオーナーだった。

いかにもな風体は高校生をビビらせるには十分な迫力があった。
…店を辞めたいと言う勇気を奪うのに1秒もかからなかった。

ま、夏休みの間だけだから、バイト料もいいし、やるだけやるか。

 

--読者諸君は言うだろう--
・次の日から行かなきゃいいだろ
・違法営業だろ止めとけ
そのとおりだ。あなたは正しい。
だが、私にはどうしても卒業までにまとまった金が必要だった。
就職と同時に部屋を借りなければならない事情があったのだ。
その辺の経緯は次回述べたい。

 

バイトを続けて数日経つと、妙なことに気付き始めた。
なんか女性が多いのだ
ミニスカートに派手な化粧と髪色をした若い女性ばかりだ。
そして常連が多いのだ。

 

私「なんか若い女性の常連さん、多いスね」
マスターとのアイスブレイクは完了し、すでに打ち解けていた
マスター「ああ、フーゾクな」

 

なんと!男子高校生に刺激的なシチュエーションか、目の前にいるのはたくさんの風俗嬢なのだ。

 

私「ええ?なんでこんなにいるんスか」
マスター「近くのトルコでココのこと、仲間内で流行ってるらしい」


今はソープランドと呼ばれているが、当時はまだ、トルコ風呂と呼ばれていた。

 

--トルコ風呂とソープランド--
性風俗用語としてのトルコ風呂(トルコぶろ)は、かつて日本で個室付特殊浴場の名称として用いられていた。今日では「ソープランド」と改められた
「トルコ風呂」は字義どおりにはトルコ風の浴場という意味で、一般的には中東の都市でみられる伝統的な公衆浴場であるハンマームを指す。しかし、日本では1953年頃に現れた個室式特殊浴場を指す性風俗用語として定着し、1984年にトルコ人留学生の抗議運動をきっかけに「ソープランド」と改称されるまで用いられた。

秋吉久美子 映画「の・ようなもの」(1981)より

 

そのお姉さん達の金遣いの荒い事、荒い事。
私「あの、そういうとこで働いている人って家が倒産したとか、すごい貧しい家庭環境の人って思ってたんですけど違うんスか?」
マスター「んなわけあるか。あいつら好きでやってる」

 

うわっマジか!、わずかに残っていた純情魂がバキッと割れる音が聞こえた・・・

 

お姉さん達はバンバン千円札を飲み込ませていく。
そしてバンバンBetするのだ。

Betというのは、ゲームに勝った時の報酬を1/2の確率で賭けるのだ。
具体的に言うと次にめくるカードの数字が確か7より上か下かを当てるものだ。
高い役で勝ったときは、報酬が2倍になるので皆熱くなるのだ。

 

さらにBetは続けて繰り返すことが可能だ。
2倍→4倍→8倍->16倍→32倍・・・と増えていくが、1回でも負ければゼロになる。

わずかものの10分で数十万も勝って帰る客は珍しくなかった。
しかし、当たり前だが数十万も負けて帰る客もまた多い。

そうか。

何十万も負けてる客にコーヒー代くれっていえないなと思った。

 

--読者諸君は言うだろう--
・千円だけ遊んでコーヒーと軽食食われたら赤字じゃね?
・そんなんばっかきたらどうすんだ?
その疑問はもっともだ。あなたは正しい。
だが、すぐにそれとわかる、いかつい兄さんや風俗嬢だらけの店だ。
普通の喫茶店と間違って入った客は二度と来ないのだ。

 

そして客はロイヤルストレートフラッシュに恋焦がれている。
ロイヤルストレートフラッシュは最も高い役で、確か100円が5万円くらいになったと思う。Betで3回続けて勝つと40万だ。

私「これ、ロイヤルきてBetで勝たれると店キツイっスね」
マスター「んん?ないない。切ってあるから」
私「切る??」
マスター「絶対でないように細工済みだ」
私「え?でも壁にロイヤル出た日と写真付きでお客さんも」
マスター「とらさんだ」
私「とらさん??」
マスター「さくらだ」

 

マジかー、そうなんだー、汚ねぇなーなんか、でも元々違法かー。

 

マスター「お前のバイト代もそっから出てる」
私「うっ、・・・はい」
・・・経済は循環していることを体で理解した。
・・・つーか「とらさん」とかダサいだろ

 

ある日、店に行くと何やら「本日休業」の文字が。
私「あの今日休みって聞いてないっスけど?」
マスター「おー、手伝ってくれ、今日は入れ替えだ」

 

その日はゲーム機を入れ替える日だというのだ。
それもなんと普通のテーブルゲーム機だ。

 

私「あれ?新作のポーカーゲームとかじゃないんスか?」
マスター「明日手入れだから」
私「手入れ?」
マスター「サツの」
私「サツ?」
マスター「ケーサツ!」
私「ケーサツ?」
マスター「お前はオウムかっ!」

 

要は警察が抜き打ちで取り締まりに来るというのだ。

私「なんでわかるんスか?」
マスター「毎月金遣ってんの!」

 

マジか、そんな闇があるんスか。怖いっす。
なんか警察内部にスパイがいるとか、そんなレベルじゃないらしい。
脈々と受け継がれてきた、その何と言うか、…言えません。

 

マスター「明日、お前休みな!」
私「はいっ!」
…ホッとした。

 

バイトの最終日、晴れ晴れとした気持ちでバイト代を受け取った。
マスターに別れの挨拶をしているところにオーナーが入ってきた。

 

オーナー「おう、今日までか」
私「今までありがとうございました」
オーナー「高3か、卒業したら就職か?」
私「はい、就職が決まりました(キリッ)」
オーナー「そうか、ま、なんかあったらまた来いや」
私「はい、ありがとうございます」

 

就職など決まっていなかった。
とっさに出た嘘だった。
我ながら危険を察知する嗅覚は鋭く、二度と錦糸町にくることはないと心に決めた。

 

ほどなくして親戚のオッサンに電話した。
一応、バイトが終わったことを伝えるついでに気になってることを訊いた。

 

親戚のオッサン「お、無事おわったか」
私「終わったんスけど、無事ってなんスか?知ってたんスか?やばいの」
親戚のオッサン「ん?何だ?やばいって」

私は事の経緯を話した。

親戚のオッサン「うーん、そんなバイトだったのか、いや知らなかった。あの店はうちで紹介した物件だからな、そんで頼まれてな」

オッサンは不動産屋だ。そうか、偶然か。
私はふと、オッサンの風貌を思い描いた。
パンチパーマに薄茶色のメガネ、派手なスーツをいつも着ている印象だ。

 

もしかしてオッサン、そっち系じゃ・・・??
いやいや、それだけでは何ともいえない。
当時は普通のサラリーマンでも同じような出で立ちはいくらでもいた。

 

年が明けて就職祝いに例のオッサンが飯を驕ってくれるという。
学校が終わったら不動産屋まで来いという。

不動産屋のドアをガラッと開けるとオッサンは座っていた。
そのテーブルにはバイト先と同じ機種のポーカーゲームが燦々ときらめいていた。

私は二度とこのオッサンには近寄るまいと心に決めた。

 

 

(…次回『(第2話)6畳2間?2万6千円 』に続く)

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